義親王の上海臨時政府亡命が成功していれば大韓帝国は続いていたかもしれない(1)
ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2016.08.22 11:40
「なぜ朝鮮がこのように力なく滅びたのでしょうか? 祖父の高宗(コジョン)皇帝を親日派が『無能な国王』と呼びました。それが第一の理由です。このことで王朝はかなり格を下げられてしまいました。世界に519年も続く王朝の歴史を持つ国はありません。このことが忘れ去られようとしています」。
高宗を「祖父」、興宣(フンソン)大院君を「曽祖父」と呼ぶ朝鮮の「最後の皇孫」李錫(イ・ソク)社団法人「皇室文化財団」総裁(75)の言葉だ。李総裁は高宗の5人目の息子・義親王の12男9女の11男だ。高宗のもとに産まれた9男4女のうち、成人まで育った子供は純宗(スンジョン)と1907年に皇太子に封じられた英親王、義親王、徳恵翁主の3男1女のみだ。高宗の一人娘であり「最後の皇女」だった徳恵翁主は李総裁の叔母にあたる。