120年前に高宗が日本を避けてロシア公使館に行った「王の道」復元
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.07.21 10:53
1896年2月11日は朝鮮には恥ずかしい日だった。高宗(コジョン、1852-1919)がロシア公使館に避難したからだ。「俄館播遷(露館播遷)」だ。俄館とはロシア公使館をいう。高宗が法宮(宮廷)景福宮(キョンボックン)を離れたのは、明成(ミョンソン)皇后が殺害された乙未事変(1895)の後、日本軍の無慈悲な攻撃に脅威を感じたからだ。
しかし歴史は2つの顔を持つ。高宗はロシア公使館で主権回復のために努力した。親日内閣を退かせて親露内閣を構成した。地方制度・官制を改正し、英国・ドイツ・ロシアなど各国に外交使節を送った。特に周辺列強と対等な関係を結ぶために大韓帝国の設立を図った。高宗がロシア公使館にいた時期は1年間ほど。翌年2月20日に慶運宮(現在の徳寿宮)に還宮した高宗は同年10月に大韓帝国を宣言し、皇帝に即位した。対内外に独立国家を知らせた。
俄館播遷120周年を迎えて高宗が「旧ロシア公使館」(史跡第253号)に移動した、いわゆる「高宗の道」が復元される。文化財庁は9月に工事を始め、来年末に終える計画だと20日、発表した。現在「高宗の道」は在韓米国大使官邸の中にある。ソウル貞洞(チョンドン)救世軍中央会館の向かい側の米大使官邸の門とつながっていて、一般人の出入りは禁止されている。大韓帝国時代に米公使館が作った貞洞の地図には「王の道(King’s Road)」と表記されている。