【グローバルアイ】日本で韓国選手の善戦を見ながら
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.02.20 09:47
1980年代に日本で学校時代を過ごした経験がある。当時、日本の公立学校に通ったが、「パク・ソヨン」という韓国名にもかかわらず、先生や友達は外国人ではなく他の日本人と同じ教え子・友人として接してくれた。家で家族と母国語で生活すること以外には、日本語で勉強し、日本語で考えたりしていたので、民族や国籍のことは忘れて過ごすことが多かったようだ。
その私が「韓国人」であることを自覚する瞬間は韓日戦が行われる時だった。今もそうだが、当時もバレーボールと野球は日本の国技のような種目だった。特に若い男子バレーボール選手は、女性ファンが‘追っかけ’をするほどのスターであった。国家対抗バレーボール試合が行われる日になると、友達は「打倒米国」「打倒韓国」を叫びながら日本チームを応援した。その度に私は「スポーツには興味がない」という無関心な表情を見せていた。しかし実際は違った。バレーボールの韓日戦がある日は、潔斎まではしなかったものの姉妹が一緒に改まった気持ちでテレビの前に座り、叫びながら韓国を応援した。こうした私の祈りが通じたのか、スパイカーのカン・マンス、セッターのキム・ホチョル率いる韓国代表はいつも日本代表に勝ってくれた。