学界では、高麗時代の文献などを類推解釈し、韓半島と日本の間の海が「東海(トンへ、日本名・日本海)」と呼ばれたのは少なくとも2000年前からだと考えている。 西暦414年に建てられた広開土大王碑にも東海という名称が登場する。
国政広報処が01年から3年間にわたり米国・英国・フランスの図書館などに所蔵された古地図594点を調査した結果、全体の71%にあたる420点が「東海(East Sea)」または「韓国海」(Sea of Korea)または「韓国湾」(Gulf of Korea)」と表記していた。 日本海(Sea of Japan)と表記された古地図は70点(12%)にすぎなかった。