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【韓半島平和ウォッチ】社会的和解で韓日共同体に向かって進もう(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2024.04.05 10:15
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西洋文明の風が東アジアに吹いて大きな波を起こしてからすでに1世紀半が過ぎた。天地が開闢して生活様式が変わった。新しい文明の海で浮き沈みがあった東アジア3カ国は、時差があったものの文明の波に乗って今日に至った。それぞれ堂々とした姿で文明国に到達した。

押し寄せる激しい風を正面から受けて先進の旗を翻したのは日本だった。日本は新文明に接した後、旧体制を一新して新しい国家を建設していった。その過程で頭角を現したのが福沢諭吉だった。啓蒙思想家だった福沢諭吉は1885年3月16日付の時事新報に掲載した「脱亜論」というコラムで新文明に向かって先頭に立つ日本の決断を注文した。

 
また「旧習」から抜け出せない隣国の朝鮮を遺憾を感じたように、日本が朝鮮と共に進むためこれ以上は待てないという論理を展開した。そして荷物になると考えた「長い友」を捨てた。捨てながら彼は「友人」の姿を蔑んで歪曲した。その後、彼の主張に従う後えいは朝鮮の歴史と正体性まで否定した。

日本は1951年に連合国と平和条約、すなわちサンフランシスコ講和条約を結んで以降、先進の地位を回復し、過去の負債を減らそうと韓国との政治的和解を模索した。それは宗教的救援、道徳的応報、法的正義実現を通じて和解を追求する宗教的・倫理的和解とは距離が遠かった。

◆政治的和解の時代は過ぎていく

政治的和解で最も重要な行為者は政府だ。政府は自国の被害者・加害者、市民団体、一般国民の意思を結集し、相手国の政府と外交的協議を通じて和解を模索する。韓日両国は1965年の国交正常化と1998年のパートナーシップ宣言を経て和解の水準を高めてきた。近年に荒波を起こした徴用問題も尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の発足後、小波は残ったものの大波は過ぎ去った。「責任論的和解論」を基盤とした政治的和解の時代が過ぎているのだ。「被害者中心主義」が持った理想と威力はその使命が尽きたようだ。植民支配のくびきを抜け出した世代と未来に生まれる世代が中心となる世の中が目の前に迫っている。

私は1月、新しい世の中に対応するために歴史問題をめぐる韓日両国の立場と見解を調整・仲裁しながら妥協を作っていく主体として和解委員会を提示した。和解委員会の任務は2つだ。一つは政治的和解の時代を終えること、もう一つは社会的和解の時代を開くことだ。天皇の訪韓と韓日新条約を企画し、歴史問題の小波を管理すると同時に、被害者の傷を治癒して記憶の事業を推進することが前者の任務だ。後者は社会的和解レベルで堂々たる文明国である韓国市民と日本市民が交流・協力を実現する機会の場を作ることだ。

もちろんこうした交流と協力は政治的和解の時代にもあった。それ自体は新しいものでなく、今まで浮き沈みを繰り返す歴史和解の過程で大小の役割をしてきたのも事実だ。では、いかなる違いがあって政治的和解の時代から社会的和解の時代に移行するべきということなのか。昨年実現したシャトル外交の復元は尹錫悦政権が断行した政治的和解措置の一つだった。今年も両国首脳の和解の意志を固め、その結実に向けた努力を見せる必要がある。日本の民間放送は先月14日、「岸田首相が3月20日にソウル高尺(コチョク)ドームで開催される米プロ野球メジャーリーグ開幕戦を参観し、(韓日)首脳会談を行うことを検討している」と報じた。これは岸田首相の政治的意図がある訪韓企画とみられた。岸田首相が4月の総選挙に臨む尹大統領を支援すると同時に、日本国内で自身の支持率を高めることができる機会にしようとした可能性があるからだ。このイベントが実現すれば政治的和解を主導する「2人の主役」にフォーカスが合わされただろう。岸田首相の訪韓は不発に終わったが、政治が抜けたそこでLAドジャース所属の大谷翔平選手が新しい和解の風を起こした。

【韓半島平和ウォッチ】社会的和解で韓日共同体に向かって進もう(2)

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    2024.04.05 10:15
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    尹錫悦大統領が昨年11月16日に米サンフランシスコのモスコーニセンターで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)セッション1会議に参加し岸田首相と握手している。[写真 大統領室写真記者団]
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