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アジアの空に君臨…ライバルがいなかった韓国空軍「黄金期」3年

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.05.14 08:01
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もし韓国空軍がいま1個大隊分のF-22を保有すれば、韓国は東アジアで最高の空対空戦闘力を持つ国になるだろう。従来の戦力に20機ほどの戦闘機が追加されただけでそれほど変わるのかと反問するかもしれないが、他の追従を許さないほど圧倒的なF-22の性能と韓半島(朝鮮半島)と一帯の領空規模を考慮すると不足のない戦力だ。

2011年の195機を最後に量産が終了したF-22は自他が認める現存最高の戦闘機だ。もちろんこれをまともに運用するには、早期警戒機、空中給油機のような各種支援手段と維持保守のような後方の能力など付随的に備えるべき部分が多い。また制空戦闘機だけが航空戦力のすべてとはいえない。しかし強力な戦闘機を備えた者とそうでない者との差はあえて比較する必要はない。

 
ところが実際、韓国空軍が東アジアの空の強者だった時期があった。1969年からソ連が東アジアにMig-25を配備した1972年まで3年間ほどの短い期間だったが、韓国空軍は当代のF-22といえるF-4ファントム戦闘機を保有することで地域最強の制空戦力を構築した。今では韓国でも至急入れ替えるべきものとして扱われているが、1958年の最初の登場当時はF-4を上回る戦闘機がなかった。

ベトナム戦争や中東戦争で圧倒的な威力を見せることはできなかったが、それでも誰もがF-4を当代最高の戦闘機と認めた。当初は海軍の艦載機だったが、プライドの強い米空軍も性能に驚いて主力機としたほどだった。F-4の対外供給は1960年代末になって選別的に始まった。韓国は1969年8月29日に6機のF-4Dを導入し、ファントム機保有国になった。

これは米国・英国・イランに次ぐ世界4番目で、注文して導入を待っていたイスラエル、ドイツ、日本よりも早かった。実際、韓国は米国の同盟だが、戦略核ミサイルも供給される英国などと比較すると武器導入で差別を受けている。1970年代初めに強く望んだM60戦車やハープーン対艦ミサイルの供給を拒否されたりもした。ところが、どうやって他国より先にF-4を先に保有することになったのか。

1968年は韓半島が韓国戦争(朝鮮戦争)以降で最も軍事的緊張が高まった時期だった。1月21日に発生した青瓦台(チョンワデ、大統領府)奇襲事件をはじめ、プエブロ号拿捕事件、三陟(サムチョク)・蔚珍(ウルチン)武装共産軍事件、EC-121撃墜事件などが相次いで発生した。ところが強力な対北朝鮮報復をすると予想された米国が意外にも融和的な態度を見せ、韓国政府を困惑させた。拘束された人質の解放のために北朝鮮に公式謝罪までしたほどだ。

当時ベトナム戦争が拡大中であり、米国は韓半島での軍事衝突を望まなかった。実際、北朝鮮もこのような点を狙って挑発を続けた。こうした消極的な米国の態度に失望した韓国政府は強く抗議すると同時に、ベトナム派遣韓国軍の撤収まで考慮するに至った。米軍の次にベトナムに多くの兵力を派遣した韓国軍の撤収が議論されると、米国は慌て始めた。直ちに特使を派遣して事態の収拾に入った。

この時、相互防衛条約の遵守を改めて確認すると同時に、F-4支援を骨子とする「ピーススペクテーター」(Peace Spectator)プログラムを約束した。これを受けて翌年、韓国軍が運用していたF-5Aをベトナムに譲る代わりに米軍が保有していた18機のF-4Dの導入が実現した。生産されて間もない最新機体を賃貸形式で導入するというものだったが、賃貸料が無料であり、期間も韓国が望むまでという条件だった。

この存在のため短期間ではあったが韓国空軍は東アジア最強を自負することができた。当時、地球上で最も貧しい国の一つだった韓国が、たとえ3年間とはいえ地域の空軍の強者として存在できたのは意味のある事件だった。今後の武器導入に関連して参考にできるほど、状況が良くない時期にむしろ韓国が主導権を握って戦力増強を実現させた良い事例といえる。

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    2019.05.14 08:01
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    1975年に国民の防衛資金で導入されたF-4Dファントム戦闘爆撃機。『必勝編隊』と命名されたこの5機の戦闘爆撃機は、寄付金162億8000万ウォンのうち71億ウォンを投入して導入した。(中央フォト)
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