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<チャイナインサイト>韓半島分割の歴史と中国の南浦-元山構想(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.01.09 16:26
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北朝鮮の平昌(ピョンチャン)オリンピック(五輪)参加が韓半島(朝鮮半島)非核化に直結するとは考えにくい。前途ははるか遠い。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長は「核弾頭を大量生産して実戦配備する事業に拍車を加えよう」と話す。火薬のにおいがさらに立ち込める。そのためか、中国の習近平国家主席は新年早々「軍動員訓練大会」を実施した。北朝鮮の急変事態も念頭に置いた布石だ。しかし北朝鮮の崩壊がすぐに統一につながるかは分からない。韓半島分割論が台頭しているからだ。

韓半島分割の歴史は深い。韓半島が大陸勢力と海洋勢力がぶつかる地政学的位置にあるうえ、かなり以前から両勢力の間に分割の議論があった。我々の民族が排除されたまま複数の強大国間で韓半島の分割が議論された最初の例は16世紀末の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時だ。

1592年9月に日本の小西行長が平壌(ピョンヤン)講話会談で明の沈惟敬に大同江沿いの分割線を提案し、初めて水面上に浮上した。1593年6月には豊臣秀吉が朝鮮8道のうち京畿(キョンギ)、忠清(チュンチョン)、全羅(チョンラ)、慶尚(キョンサン)など南部4道を日本に割譲する朝鮮分割案を提案した。

沈惟敬が日本と癒着して受け入れることを検討したが、朝鮮と明の朝廷の強い反対があり、実現しなかった。1593年11月には明の朝廷内部で朝鮮を2つまたは3つに分け、倭を防御する者に与えようという案が出てきたが、兵部尚書の石星が不可能だと主張し、これも実現しなかった。

朝鮮が帝国主義列強の侵奪対象になった19世紀末と20世紀初めには、さらに進展した形態の分割論が登場した。1894年7月に英国が清と日本にソウルを中心にした南北分割論を提示した。

清は英国に受諾する意思を伝えたが、韓半島の独占を狙った日本は拒否した。結局、日清戦争が発生し、日本は清を韓半島から追い出すことに成功した。すると今度はロシアが姿を現した。

ロシアの存在感に押された日本は1896年、ロシアに2回にわたり韓半島の分割を提示した。まず北緯39度線付近の大同江沿い分割案で韓半島の3分の1を譲ると伝え、ロシアが否定的な反応を見せるとソウルを境界にした分離論を出した。ロシアは同意しなかった。韓半島南部を要衝地と見なしたからだ。

1945年の日本敗亡後、韓半島はまた海洋勢力と大陸勢力の角逐の場になった。今度は以前の4回の分割案で一つの軸だった日本が抜け、その場を米国が埋めた。反対側にはロシアがソ連という名前で登場した。

米国は当初、新義州(シンウィジュ)下と咸興(ハムフン)を米国占領地域として確保する40度線と、平壌-元山(ウォンサン)をつなぐ39度線の確保を望んだが、ソ連はこれを受け入れないと判断してあきらめ、その代わりに漢江(ハンガン)沿いの38度線を分割線に確定した。

準備が不足し、時間的に余裕がない状況で拙速に決定された側面があるが、38度線は韓半島の心臓部を貫く線であり、その長さがそれほど長くないという点で戦略的考慮が全くなかった無知な線ではなかった。

ところが先月、米シンクタンクのランド(RAND)研究所が北朝鮮急変事態の発生時に中国軍の介入による韓半島分割案4種類を想定し、注目を集めている。中国人民解放軍が実際に検討しているシナリオに基づくものであるからだ。

中国は潜在的敵国である米国と直接国境を合わせるのを極力避けようとする。緩衝地帯が必要な理由だ。したがって北朝鮮の現状維持が最もよい。しかし北朝鮮が核挑発を続け、中国の生命線である対米、対西側貿易に障害となれば、北朝鮮を捨てる可能性も提起される。

この場合にも緩衝地帯は確保しなければならない。ランド研究所が提示した中国軍の介入による4つの分割線はこうした状況を想定したものだ。一つ目、中国軍が国境を越えて50キロ進撃した場合で、分割線は長さ550キロで最も長い。二つ目、朝中国境から内陸に100キロ入ってきた場合だ。寧辺(ヨンビョン)核施設を掌握できるが、東西の長さが500キロにのぼる。分割線が長くて管理が容易でなく、平壌付近を勢力圏として確保できないという弱点がある。


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