【コラム】どんなタイムマシンに乗るのか=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.12.08 09:13
「私は民主化以降、韓国社会が質的に悪くなったと見ている」。崔章集(チェ・ジャンジプ)教授の本『民主化以後の民主主義』はこのように始まっている。2002年に同著が出版された時、私はこの文章にすんなりと同意することはできなかった。韓国戦争(朝鮮戦争)の廃虚を乗り越え、世界10位圏の経済発展を成し遂げた国ではないか。30年近く続いた軍事独裁から自由になり、平和的政権交代の伝統を確立した国ではないか。それが「悪くなった」とは。
だが、10年という年月が過ぎた今、同著を再び読み返してみて自分の考えが間違っていたことを認めざるをえなくなった。最近のように人々がこれほど怒った姿を見たことがない。30年間家庭を守ってきた主婦が三々五々光化門(クァンファムン)に駆けつける。金融会社や外資系企業の役員のように、普通の人の目には既得権に属する大学同期たちもまた然りだ。ソウル高級住宅街と言われる江南(カンナム)のアパートに住む公務員でさえIDカードを家に置いて子供の手を取り集会に参加したと聞いた。崔順実(チェ・スンシル)の娘チョン・ユラの裏口入学は未来を夢見る中・高・大学生の「怒りのゲージ」を極限まで引き上げた。奇異とも感じられる崔順実の過去は、この地の親や平凡な甲男乙女が信じていたり信じたいと思っていたりした最低限の常識と正義を崩壊させた。執務室より官邸を愛した大統領は崔順実の知人の苦情まで手厚く面倒を見てやった。彼女を補佐する公職者は公私を区別できなかった。2人が衝突する時はかえって私を前面に出した。それでも最低限の公的システムは機能しているだろうと思っていた国民の希望は虚脱感と同じくらい大きな自己恥辱感によって裏切られた。