【中央時評】あきらめの罠にはまった韓国社会
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.07.04 14:16
私が幼い頃、よく聞いた言葉がある。韓国ではできることもなくできないこともないと。「バック」があればできないこともでき、「バック」がなければできることもできないということだ。一言で韓国社会はぼんやりとした腐敗社会ということだった。それでもその時は「これではだめだ。変えてみよう」という意欲があったし、その集団的な意欲が民主主義と経済発展をもたらした。
しかし最近は新たにぼんやりとした現象が表れている。諦めてしまうことだ。あたかも麻酔をうった患者のように。現在の韓国社会にはあらゆる分野にわたり深刻な危機要因が隠れている。劉承ミン(ユ・スンミン)事態で赤裸々に表れた政治の不在、低成長と二極化という経済危機、まだ解決策が見えない地域的・理念的葛藤、柔らかい言葉が求められる国家の低い品格などが我々を締めつけている。本当に深刻な危機は、こうした問題を真摯に悩んで解決方法を探そうとする努力が見えない点だ。
少なくとも短期的には大きく上向くこともなくそれでも一日で滅びることもない経済に寄り掛かりながら、特別な考えもなく一日一日を延命している。政治的、社会的に毎日漂流を繰り返しながら、目標は喪失し、深刻なアイデンティティー危機で不安感は高まっているにもかかわらずだ。