【コラム】克日、結局は国力だ=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.01.08 15:12
「共に民主党」の李鍾杰(イ・ジョンゴル)院内代表は今回の合意が「50年前の第1次韓日屈辱協定に続く、第2次韓日屈辱協定」だといった。しかしその時に韓日協定を結んでいなかったら、韓国は今どれほど孤立して後れた国として残っているのか分からない。当時も野党や学生たちの反対は猛烈だったが、この時に導入された無償3億ドル、有償財政・商業借款5億ドルは浦項(ポハン)製鉄・京釜(キョンブ)高速道に、昭陽江(ソヤンガン)ダムなどの経済開発の初期事業と産業化投資を輸血する貴重な元手となった。より重要な点は、韓国が開放と経済建設に確固たる意志を持った国であることを世界に示したことだ。その後世界銀行やアジア銀行、そのほか海外からの借款や資金導入が本格化し、韓国は世界の経済体制に入門して開放と産業国家の道を進むことになったのだ。
韓国は解放後、日本との関係で数多くの不快な記憶を持っている。韓国の悲劇の6・25韓国戦争(朝鮮戦争)は敗戦国として満身瘡痍だった日本にとって天佑神助の幸福となった。日本は一時的に米軍の戦争物資・サービスの調達基地になり、当時の軍需物品専門担当工場だけでも860カ所に達した。その収入が1952年の日本の総外貨収入の36.8%に達し、自動車・造船・製鉄業などの生産基盤はこの時から画期的な拡大・革新を始めた。