韓国経済副首相に残されたカードは…(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.12.17 13:37
政府内での地位も大きく弱まった。経済企画院時代の副首相は閣僚級の官庁より格が高かっただけでなく、予算配分権という刀を握っていた。武勇談のように伝えられる60~70年代の副首相のリーダーシップもこうした政策手段によるものだ。副首相制が1998~2000年と2008~2012年の2度にわたり廃止されていたことも副首相の権限弱化をあおった。一度なくなった権威が、名称がよみがえったからと再び力を取り戻すのは難しいためだ。官僚組織の特性上、官庁の利己主義は深刻で、過去にも閣僚らは副首相の話を素直に聞かなかった。そこで生まれたのが当時世宗路(セジョンロ)政府庁舎の小会議室で開かれた「緑室会議」だった。単にカーペットの色が緑色だったために付けられた名前だが、60~70年代の副首相は官庁間で意見の違いがあると閣僚らをここに呼んで軍紀をただした。夕食も取らず通行禁止時間の直前まで会議をすることになれば結局閣僚らが白旗を揚げる格好となった。しかし現在はこうした形のワンマン将軍式のリーダーシップは通じにくい。昨年は財産税引き下げをめぐり閣僚らが玄オ錫(ヒョン・オソク)副首相の方針に従わず朴槿恵大統領が直接乗り出して調整したが、こうしたことは過去にはなかったことだ。経済副首相の強力な権限だった予算と税制カードも鈍った。赤字財政が続き予算運用の幅が狭く、歳入欠損に苦しむ状況のため税制恩恵を出せないためだ。
◇構造改革は労使政の大妥協成立してこそ