【コラム】聖水大橋、セウォル号…“Grab&Go”=韓国
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.10.31 11:17
1994年10月に聖水(ソンス)大橋が崩れた時、デスクの指示で現場に駆け付けた。漢江(ハンガン)のほとりに到着してみると戦場のようだった。ヘリコプターが聖水大橋の上空を覆っていたし周辺のごう音は耳をつんざくほどだった。バージ船に乗って甲板の上に上がったところ、救助隊が3分の1に破損した市内バスをクレーンで持ち上げていた。その時バス内にいた無残な遺体を覆いながら収容していた場面は、今でも忘れられない。事故で犠牲になったある女子高生のカバンに血と肉片が入っていた場面と一緒にだ。翌年、三豊デパート崩壊事故に接した時は背筋が寒くなって目まいがするほどだった。記者もよく行っていた場所だ。事故の2カ月前ぐらいに、そのデパートの5階食堂に行く途中で底が突然揺れて、天井が揺れる感じがして驚いたことも思い出した。
大型惨事のほとんどは、個人で予防したり避けることは容易ではない。事故原因を見てみると不良施工や安全不感症などの社会構造的な問題が隠れている。セウォル号惨事も同じだ。数百人が乗った大型旅客船が海の真ん中で沈没する事故が起きるとは誰が想像しただろうか。明白な差もある。空しく崩れてしまった聖水大橋や三豊デパート崩壊事故とは違って、セウォル号事故は犠牲者を大幅に減らすこともできた。私が先に生き残ろうという船長と乗務員の無責任な逃走行為が、国家的な大惨事を招いた側面が大きい。検察がイ・ジュンソク船長に殺人罪を適用して死刑を求刑し、1等航海士ら3人に同じ罪で無期懲役を求刑した理由もそこにある。船が沈没しているのに、じっとしていろとの案内放送だけを固く信じて待ちながら冷たい海の下に沈んだ数多くの壇園(ダンウォン)高校の生徒たちは、見守る人々にトラウマを残した。