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最後まで追われる韓国人、死の準備が必要(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.10.01 17:10
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だが異例的に、あらかじめ死の準備をして余裕をもって亡くなった人もいる。

代表的な人物が1960年代に米国で美容技術を学んで70年代に韓国に短髪熱風を起こしたヘアーデザイナー、グレース・リー(1932~2011、韓国名イ・ギョンジャ)だ。2011年2月28日のリー氏の葬儀は出版記念会や喜寿のお祝いと同じだった。白菊の花の代わりにピンクのバラで飾られた葬儀場には、とても楽しげなタンゴ音楽が流れた。ワインを持ってきて飲む人もいた。グレース・リーの弟子であるイ・ヒ氏は「普段からの遺言だった」として「先生は50代のころから死や葬儀についての話をとても自然に楽しくしていた」と話した。葬儀が暗くてじめじめしていて、見るからにみすぼらしいような様子でなかったら良いとして、白菊の花の代わりにピンクのバラを飾ってタンゴ音楽をかけてほしいと、いつも話していたという。普段から「死は人生の一部分にすぎず、特別なものではない」という所信があったからこそ可能だった。イ・ヒ氏は「花のせいか葬儀は悲しみに抑制された空間ではなく、先生を思い出す場になった」と振り返った。

 
これよりずっと前の97年に亡くなった『根深い木』『泉の深い水』発行人の韓彰ギ(ハン・チャンギ、1936~97)も淡々と自身の死を準備した。96年冬に病気が悪化すると彼は自身の葬儀の手続きを慎重に取りまとめた。絹織物で輓章(葬儀用の旗)をあらかじめつくるのをはじめ葬儀のすべての手続きを依頼して、また記録するようにしたという。

だが依然として大多数の韓国人には死を語ることが難しい。年を取った人であるほどより一層そうだ。2006年に蘆原(ノウォン)老人総合福祉館の「シニア死の準備学校」の講義を担当したユ・ギョン死の教育講師は「似たような内容の講義でも以前は『美しい終わり』というふうに使って『死』という単語を直接的に使うと『不作法だ』と怒る老人が少なくなかった」と振り返っていた。彼は「だが20人の定員に待機者が140人を超えるほど関心も高かった」として「死を恐れる一方、知りたい心理も大きかったようだ」とした。


最後まで追われる韓国人、死の準備が必要(1)

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