<韓国旅客船沈没>兪会長、検察急襲のとき別荘内の“秘密空間”に隠れていた(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.07.24 09:20
兪会長が正確にいつ別荘を抜け出たかを知る方法はない。検察・警察が5月25日夜に撤収した後、別荘に対する警戒措置を取らなかったからだ。捜査チーム長のキム・フェジョン仁川地検第2次長検事は「当時、側近の信徒らの携帯電話の通話内訳を見ると、兪会長がすでに車で抜け出し、順天の別の地域に隠れ家を用意した可能性が相当高いと判断した」と釈明した。
この日、兪会長親子の逃避過程も新たに公開された。兪会長が逃避を決心したのは、セウォル号惨事3日後(4月19日)だったという。検察の関係者は「長男のユ・テギュン容疑者がこの日、仁川空港からフランス・パリに出国しようとして失敗した後、昼ごろ(宗教施設の)錦繍院(クムスウォン)に入り、兪会長が側近と対策会議を開いて逃避を決めた。ユ・テギュン容疑者は翌日、錦繍院を抜け出した」と話した。
兪会長は4日後の23日未明、錦繍院付近にある救援派の女性信徒の家に逃避した。錦繍院に対する最初の家宅捜索を数時間後に控えていた時だった。兪会長は翌日、別の側近の家に移った後、5月3日までそこで過ごした。この期間、兪会長の妹婿であるオ・ガプリョル元チェコ大使は京畿道楊坪にある救援派信徒所有の別荘に行き、逃避資金名目として5500万ウォンを渡したことも分かった。