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【コラム】南北首脳会談、惜しい思いと願い(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.07.14 10:35
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20年前、1994年7月25日から2泊3日の日程で平壌(ピョンヤン)で開く予定だった分断後初の南北首脳会談は、7月8日の金日成(キム・イルソン)主席の急死によって果たせなかった分断史の1章になってしまった。

歴史で「もしこうだったら」という過程を前提に展開する推論は、つまらぬ努力かもしれない。しかし「金日成がもう少し長生きして7・25平壌首脳会談を成功させていたら、南北関係は果たしてどんな変化をもたらしていただろうか」という仮想の歴史を考えてみるのは、会談白紙への惜しい気持ちのためだけではない。それよりも20年前に7・25首脳会談の合意を可能にした状況の論理、南北双方の立場と戦略は、統一推進の遠い道のりにおいては必ず振り返ってみるべき貴重な前例であり、教訓だと信じているからだ。

 
金日成生前の最後の10年、すなわち80年代後半と90年代前半の世界史は、冷戦の幕が降りながら大きく揺れ動く転換期を体験することになる。ソ連の解体とドイツ統一という歴史の渦の中で韓国は87年に民主化を実現しながら韓半島(朝鮮半島)で南北2つの国家体制の共存の現実を受け入れて平和的協力を増大させ、1つの民族社会を復元して段階的に統一国家を目指そうという民族共同体統一案を与野党4党の合意として採択した。一方90年にはゴルバチョフのロシアと、92年にはトウ小平の開放政策が展開した中国とも、外交関係を樹立するに至った。北朝鮮もこうした和解協力の大勢に乗って91年、国連への南北の同時加入はもちろん南北基本合意書に合意し、さらには韓半島の非核化共同宣言に達する「韓半島の春」が訪れるかのようだった。

しかし93年、北朝鮮の核兵器開発の秘密作業が米国に探知されることによって、韓半島はいわゆる第1核危機を迎えることになる。米国のペリー国防長官は北朝鮮の核作業除去のためには軍事力を含めたすべての手段が考慮される可能性があるとの強硬姿勢を取ることによって、韓半島には戦雲が漂う緊張が高まった。金泳三(キム・ヨンサム)大統領は、韓半島が再び戦争に巻き込まれる軍事的対応には慎重さを促し、対話を通した解決策の摸索に重点を置いた。こうした緊迫した状況で金日成はカーター元米国大統領の平壌訪問に同意した。6月18日、平壌に到着したカーター氏は米国政府の公式代表ではないが、民主党出身であるクリントン政権の立場を代弁できる位置にいると金日成も認めた結果だった。


【コラム】南北首脳会談、惜しい思いと願い(2)

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