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【コラム】韓国創作ミュージカルがグローバル芸術に進む道(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.03.20 15:19
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ソウル大公園に「アート」という名前のチンパンジーがいる。このチンパンジーは何かを描くのが好きだという。飼育係が紙と絵の具を与えたところ、本格的に描き始め、次第に絵も良くないっている。ルノアールの絵のようではないが、見方によってはジャクソン・ポロックという抽象表現主義の画家の絵に似ているところがある。このチンパンジーの絵は芸術だろうか。多くの人はこれまで芸術と考えていない。形の上ではポロックの絵とそれほど変わらないが、なぜこれを芸術といわないのだろうか。

事例をもう一つ。オルデンバーグというポップアート作家がいる。鏝や洗濯ばさみなど日常の物を非常に大きく作り、人々を驚かせる。米国のある美術館がこの人が作った大きなハンバーガーの作品を購入し、展示した。大変な価格だ。これを芸術といえば何でも芸術といえないだろうか。夜中にこっそりとこの地域の美術大生1人がケチャップボトルを作り、そのそばに並べた。もちろんケチャップボトルは片づけられた。芸術ではないという理由からだ。ケチャップボトルはなぜ芸術にならないのだろうか。

 
筆者だけでなく多くの人が美術科目を講義しながら使う事例だ。これに対する答えはいろいろある。その一つが創造に関する説明だ。チンパンジーの絵や美術大生のケチャップボトルは創造ではないため芸術とはいえないということだ。まず、チンパンジーは芸術作品を創造するための精神的・心理的な装置を全く持っていない。ただ書き散らしているだけだ。また、自分が作り出す結果に対する考えもない。創造にはそれにふさわしい過程がなければならず、それが作品の形式として表れなければならないということだ。

ケチャップボトルを作った美術大生は何かを作るという考えもあり、それを作るために悩んだ痕跡も見られるが、なぜ芸術ではないのか。既にあるものを越える進歩性がないためだ。新しいものに向けた試みがないという点で、創造と見なせないということだ。誰かがすでに作ったものを繰り返したり、それをに合わせて作ったものであるからだ。オルデンバーグのアイデアを使ったという以上のものはないという点で、ケチャップボトルは創造にならない。今度は作品の内容が問題だ。形式だけでなく内容も一緒に創造的であってこそ芸術になるということだ。


【コラム】韓国創作ミュージカルがグローバル芸術に進む道(2)

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