【コラム】危機の安倍、巨人の中曽根を記憶すべき(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.02.19 11:49
1982年の就任当時、周辺国との関係は歴史教科書の余波で最悪の局面だった。中曽根首相は就任直後、瀬島龍三伊藤忠商事顧問を密使として送り、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の権翊鉉(クォン・イクヒョン)民正党事務総長と談判させた。40億ドルの経済協力を提供することで合意し、1983年1月に日本首相としては初めて韓国を訪問した。1984年の全大統領の訪日当時、天皇の植民地支配に対する最初の謝罪性発言を誘導した。日本首相では初めて日中戦争の侵略的側面を認めた。隣接国を侵略した歴史をきちんと教えるという条項も作った。失われた20年を取り戻すために強い日本を目指し、保守右傾化一辺倒という批判に直面した安倍首相が銘記すべき部分だ。
中曽根首相が1985年に靖国神社を参拝した時も周辺国の怒りはピークに達した。中曽根首相はそれ後、参拝しなかった。兄弟のように親しかった改革派の胡耀邦中国総書記が保守派の反撃で追放される危機に直面して決心したと述懐した。2005年に小泉首相に参拝中断を促した前任の首相でもある。安倍首相と違う点だ。中曽根首相の在任期間は日本の魅力が大きく高まった時期だった。