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<大リーグ>秋信守、20本塁打・20盗塁・100四球・100得点の大記録

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.09.25 09:56
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メジャーリーガー秋信守(チュ・シンス、31、シンシナティ)にとって人生で最高の日だった。

秋信守は24日(日本時間)、シンシナティのグレートアメリカンボールパークで行われたニューヨーク・メッツ戦で、延長10回裏のサヨナラ打を含む6打数3安打をマークした。シンシナティは3-2で勝ち、ポストシーズン進出を決めた。

 
秋信守はこの日、盗塁2つを追加し、21本塁打-20盗塁-109四球-105得点をマークした。得点と四球がリーグ2位の秋信守は、シーズン20本塁打-20盗塁-100四球-100得点を達成した最初のナショナルリーグ1番打者となった。アメリカンリーグの1番打者を含めても歴代3人目。113年間のメジャーリーグ史上12番目の記録だ。“万能選手”秋信守の成功時代が開かれた。

6歳の秋信守を父が鍛えた。幼い息子の腕力を鍛えるために腕立て伏せをさせた。決めた回数ができなければ眠らせなかった。チュ・ソミンさん(62)は息子を愛する分、厳しく育てた。若い頃にボクシングと陸上をしていた父は、息子に強い体力と強い精神力を譲った。

釜山中、釜山高時代、秋信守は同じ学年とは比較にならないほど野球の実力が優れていた。釜山高に進学すると、父ほど厳しい師匠、故チョ・ソンオク監督に出会った。秋信守はチョ監督の地獄の練習に黙々と耐えた。それでもチョ監督は秋信守を叱った。「お前が一人でやっても仕方がない。リーダーとして、チームメートもこの練習をこなせるようにしろ」。秋信守は悔しさで涙を流した。虎のような父と監督の下で、秋信守はさらに強い虎となった。幼い頃から忍耐と責任感、リーダーシップが身についた。

高校時代に最高の投手だった秋信守は00年8月、打者としてシアトルに入団した。シアトルは秋信守が現代野球で貴重な存在である5ツール(打撃の正確性・パワー・守備・送球・走塁能力)プレーヤーになると信じた。マイナー時代、数人の投手コーチは「秋信守、大変なら投手をするといえ。まだ150キロ近いボールを投げるのになぜ打者をするのか」と誘っていた。迷いもあったが、秋信守はバットに人生をかけた。秋信守はマイナー時代の2002年、自分(181センチ)より頭一つ大きい白人選手をねじ伏せた事件で有名になった。白人選手が東洋人という理由で無視すると、そのボス的な存在の選手の手を握ってねじった。巨体の白人は悲鳴をあげ、その後は誰も秋信守に手を出さなくなった。

秋信守の腕力は強かったが、本塁打王になるほどではなかった。成功する方法は万能選手になることしかなかった。秋信守は毎日、真っ先にグラウンドに出て、タンクのような上体を作った。06年にメジャーに昇格したが、秋信守はシアトルでイチロー(40、ニューヨーク・ヤンキース)の影に隠れた。翌年クリーブランドに移籍してチャンスをつかんでからは、自分のポジションを一度も手放さなかった。

好調だった秋信守は2011年、四球で左手を骨折した。その後、昨年12月、シンシナティにトレードされた。秋信守は今季後、FA(自由契約選手)となる。一生一代の機会を控え、秋信守は一歩も退かなかった。骨折後は内角球に恐怖心が残っていたが、リーグ最多死球(25個)を受けながらも果敢にプレーした。2013年、秋信守の価値は十分に立証された。今年の年俸737万5000ドル(約80億ウォン)だった秋信守は来年、6年・総額9000万ドルのFA契約も可能だという現地報道も出ている。

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