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【コラム】東日本大震災の記憶・・・韓国はこのままでいいのか

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.03.19 17:07
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東日本大震災が起きた2年前の3月11日午後2時46分、日本の東京の電車の中にいた。道路の上を走っていたモノレールの列車が突然止まると、テーマパークのバイキングのように左右に荒々しく揺れ始めた。初めて経験した地震だという恐ろしさよりも「これは何事なのか」と戸惑うことのほうがより大きかったその瞬間に比べて、後遺症はかなり長引いた。その後たびたび、そしてこの頃はしきりに、わけもなく大地が揺れる感じと共にびりっとする恐怖が訪れてきたりする。

人生を根こそぎ揺さぶった震災が、忘れられるまでに2年という時間はあまりに短いようだ。今春、日本で封切りする映画を調べると、2年前のその日を振り返るような作品が大部分だ。題名だけでも暗鬱な『遺体-明日への10日間-』は、津波で廃虚になった岩手県釜石で、命を失った家族や近所の人たちの遺体を引き揚げてDNA採取まで直接しなければならなかった住民たちの現実を素材にした。ドキュメンタリー『生き抜く 南三陸町 人々の一年』は、やはり震災が総なめにしていった現場で新しい人生をつくる人々の話だ。昨年、釜山(プサン)国際映画祭で上映された舩橋淳監督の『桜並木の満開の下に』は、事故で夫を失った女性を主人公に、予期せぬ災難に直面した彼女たちの絶望と罪悪感を描いた。2月に開かれたベルリン映画祭にも招待されて好評を得た作品だ。

 
3.11の余波で寿命を終えた歌についての話も聞こえてくる。日本のグループ“サザンオールスターズ”が2000年に発表してアルバム販売300万枚を突破するなど人気を集めた『TSUNAMI』だ。愛する人と別れた後の“津波のようなさびしさに”というフレーズを入れたこの歌は、10年余りにわたって日本人たちのカラオケ愛唱曲トップ10に着実に入っていた。しかし大震災後は放送からもカラオケからも完全に消えた。インターネットメディアのJ-CASTニュースは「震災後2年が流れたがまだカラオケで『TSUNAMI』を歌うのはタブー」と伝えた。

忘れていなかったということは、備えているということでもある。その日の経験のおかげで、地震発生時の行動の心得については目を閉じてシミュレーションもできるようになった。公共交通が遮断されて避難場所にとどまったその日の夜、日本人の友人が冗談めかして尋ねてきた。「韓国は分断国だから、こういう避難訓練は慣れているよね?」「うん?そうだね…」「防空壕みたいなもの?」「あることはあるよね。それでまさか使うことが起こるかな?」。ところでこの頃はぐっと恐ろしくなってきている。その“まさか”に、期待最小限の準備さえダブー視したまま何でもないように生きていっても、本当に大丈夫なのだろうか。

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