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「韓国は北の威嚇に中国ばかり見ず日本とも…」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.03.18 10:35
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若宮啓文前朝日新聞主筆は日本の代表的な知韓派言論人だ。2005年「竹島を韓国に譲歩して友情の島にしよう」という提案を朝日新聞のコラム欄に書いて議論を起こしたりもした。今年初めに朝日新聞を定年退職した若宮氏は釜山(プサン)の東西(トンソ)大学客員教授、ソウル大学国際大学院日本研究所客員研究員、西江(ソガン)大学韓国語教育院の学生として今月初めから韓国生活を始めた。1981年のソウル留学から32年ぶりだ。12日にソウル・光化門(クァンファムン)で彼に会った。

――新しく始めた韓国生活はどうか。

 
「西江大学韓国語教育院で熱心に勉強するのが最も大きなことだ。平日午前9時から午後1時まで毎日出席し韓国語の実力を練磨中だ。初めて韓国にきたのは1979年夏の朴正熙(パク・チョンヒ)政権末期だった。81年には1年間ソウルで留学した。いまのソウルは30年前のそこではないと錯覚するほど魅力的な都市に変わった。日本の一般の人の韓国の見方も大きく変わった」

――韓国の主要人物とも親交があるはずだが、ソウルに来てから会った人はいるか。

「金泳三(キム・ヨンサム)元大統領に会った。朴槿恵(パク・クンヘ)大統領に対し『頭が良い人だからうまくやるだろう』と評価していた。昨年の大統領選挙前に朴大統領が金元大統領を表敬訪問した時に良い印象を受けたようだ」

――韓日関係はどのように変わったか。

「私は戦後の日韓関係を4期に分ける。1期は李承晩(イ・スンマン)政権時代。反日の雰囲気が非常に強く、日本は過去の歴史反省がなかった時期だった。2期は国交正常化後だ。相互利益面で一致した。韓国は経済成長のために日本の助けが必要で、日本は北朝鮮と中国を除くと韓国とだけ関係が回復しておらず戦略的に協力した。88年のソウル五輪を前後した民主化時期が3期だった。日本の歴史認識も変わり始め首相が相次いで謝罪した。いまは4期に差し掛かった。これまで封印されていた問題が明るみに出始めた。日本人は『われわれはいつまで謝らなければならないか』として疲労感を表わし、韓国は『ほら見ろ。日本は反省を知らない』と非難する。悪循環だ。昔より日韓関係が悪くなったのではないが、少し難しくなったようだ」


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