【グローバルアイ】キム・ヨン世界銀行総裁指名に込められた意味
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.03.27 17:15
#韓日会談反対デモが行われていた1964年。 5歳の子どもはアルファベットも知らないまま、歯医者だった父に連れられて米国へ渡った。 当時、韓国の1人当たりの国民所得は105ドル。 フィリピンの3分の1、ケニアとほぼ同じ水準だった。 有色人種がほとんどいなかったアイオワ州の地方都市で彼がぶつかったのは差別の壁だった。 しかし彼はスポーツでこの壁を乗り越えた。 ブラウン大学を経てハーバード医大を卒業した彼は、人道主義者に生まれ変わった。 アフリカと中南米で結核・エイズと闘った。 09年に彼がアジア人としては初めて、米国東部名門アイビーリーグ、ダートマス大学の総長になったのは偶然ではない。 23日(現地時間)にオバマ大統領が次期世界銀行(IBRD)総裁に指名したキム・ヨン総長のことだ。
#キム総長が太平洋を渡った頃、韓国は第一次経済開発5カ年計画に着手したところだった。 しかし資源どころか、韓国戦争(1950-53)、政治混乱に軍事クーデターまで発生した国に投資する人はいるはずがなかった。 ドルを渇望する韓国に慈雨を降らせたのはIBRDだった。 第2次世界大戦後、ドルを基軸通貨とする「ブレトンウッズ体制」をスタートさせ、国際通貨基金(IMF)とともに設立されたIBRDは‘奨学生’が必要だった。 韓国は貧しかったが、勉強ができる‘小川の竜’だった。 釜山(プサン)港、嶺東(ヨンドン)高速道路、ソウル・釜山・大邱(テグ)地下鉄、慶州(キョンジュ)普門団地と済州(チェジュ)中文団地、全国各地の保健所…。 70、80年代の「漢江の奇跡」の後には決まってIBRD借款の‘洗礼’があった。 IBRDと縁を結んで33年目の95年、韓国はIBRD奨学生を卒業した。