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北朝鮮問題さえ起これば討論の代わりに争ってきた(2)

2009.05.15 12:23
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盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府では2005年9月、突然マッカーサー銅像撤去騒動で韓米関係にまで波長が広がった。その月の11日、全国民衆連帯など進歩団体と黄海道民会など保守団体は仁川自由公園のマッカーサー銅像をめぐりそれぞれ「撤去」と「撤去反対」で集会を開き、投石戦をした。4日後、ヘンリー・ハイドン議員ら米下院議員5人は「むしろ米国に銅像を送ってくれ」と政府に書簡を送り、盧武鉉大統領が「マッカーサー銅像は(韓国が認める)歴史」として鎮火させた。

李明博(イ・ミョンバク)政府が始まっても韓国内で衝突が発生した。昨年12月、自由北朝鮮運動連合など北脱出者団体たちが臨津閣(イムジンガク)で対北ビラ撒布を強行すると、進歩団体が阻止に出た。民主党と自由北朝鮮運動連合間には互いを「売国団体」と呼びあう非難戦もあった。2カ月前、北朝鮮が南北軍事実務会談で「ビラ撒布が続けば開城工業団地に悪影響を及ぼす」とし、重大措置を予告したが、北朝鮮の真意把握と対応策用意は後回しで、韓国内で対立を見せた。

 
カン・ヨンシク我が民族相互助け合い運動事務総長は「今も光復節になれば保守は“金正日打倒”を、進歩は“在韓米軍撤収”を叫び、別々に記念集会を開いている」とし「いつまでこうした消耗的理念対立を続けるのか、深刻に悩む時」と指摘した。


北朝鮮問題さえ起これば討論の代わりに争ってきた(1)

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