【コラム】88ソウル五輪、その後30年の大韓民国の姿
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.09.26 15:52
青空のまぶしい秋の日だった。雲一つない青く澄んだ空からの日差しは暖かかった。1988年9月17日。88ソウルオリンピック(五輪)開会式の日だった。あれから30年が経過した。
「86」と「88」は全国民のイベントだった。当時はそうだった。テレビやラジオをつけると86と88を話していた。86は1986年ソウルアジア競技大会、88は88年ソウルオリンピック(五輪)を表す言葉だった。最初から国民が望んだわけではなかった。当時、銃刀で権力を握った軍事政権は86と88を通じて正統性を確保しようとした。軍部クーデター勢力はメガスポーツイベントを通じて国民の視線を政治でない別のところに向けようとした。最近、国民体育振興公団と韓国体育言論人会がソウル五輪30周年を迎えて出した『ソウル!コリア!消えない火花』という本に目を通した。