<Mr.ミリタリー>済州基地と北東アジア海洋での角逐(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.10.19 10:58
20世紀初めの韓半島(朝鮮半島)の運命を決めた日露戦争(1904-1905)は事実上、対馬沖海戦で決着がついた。日露戦争はロシアの東進に脅威を感じた日本が韓半島と満州をかけて臨んだ勝負だった。当時ロシアは旅順港を日本に占領され、満州でも劣勢になると、バルチック艦隊を急いで派遣した。しかし強大なバルチック艦隊は英国の妨害でスエズ運河を通過できず、アフリカの喜望峰を回って疲労したうえ戦意を欠いて日本に惨敗した。当時、東郷平八郎提督が指揮した連合艦隊は鎮海(チンヘ)から出発して李舜臣(イ・スンシン)将軍に勝利を祈ったという。もし東郷提督が対馬沖海戦で敗れていれば今日の日本はなかっただろう。その場合、日本は海上統制権をロシアに奪われ、海を通じて満州に兵力や軍需物資を送ることができず、その結果は敗戦だ。海軍力が国の運命を左右する歴史の教訓だ。日露戦争で勝った日本は乙巳勒約と韓日併合条約で韓半島を掌握した。
100年が過ぎた現在、歴史は構造を変えて繰り返している。海上路は日露戦争当時の東海(トンヘ、日本名・日本海)・西海(ソヘ、黄海)から現在の済州(チェジュ)南側の離於島(イオド)を通過して台湾にいたる海域に拡大した。勢力も再編された。中国対日本から中国・ロシア対米国・日本に変わった。さらに北朝鮮は核武装で韓半島を脅かしている。韓国は中国にあいまいな態度を見せているが、基本的に韓米同盟体制内にいる。中国がTHAAD(高高度防衛ミサイル)事態のように覇権・横暴の追求でなく周辺と調和して生きるという原則に変えない限り、この競争構造を抜け出すのは難しい。