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【寄稿】安保・経済複合危機、朴正熙リーダーシップを振り返る=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2022.10.26 16:18
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1979年10月26日午後6時ごろ、慶尚南道金海(キムヘ)保安隊の取調室。「孫鶴圭(ソン・ハッキュ)、お前はここにいたのか」。私の名前を呼ぶ声が聞こえ、中央情報部対共捜査団長のチェ氏が5、6人の捜査官と共に入ってきた。「ああ、私は死ぬのか」。すぐに恐怖が襲ってきた。それから2時間ほど経った後、朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領が青瓦台(チョンワデ、大統領府)で金載圭(キム・ジェギュ)中央情報部長の銃撃を受けて倒れた。

これに先立ち10月18日に釜山(プサン)・馬山(マサン)地域で大規模な反政府デモが広がると、釜山地域に戒厳令が宣言された。キリスト教教会協議会(NCC)幹事だった私は10月22日、暗黒天地になった釜山に行った。釜山でチェ・ソンムク牧師ら人権運動家に会って状況を確認したが、24日に警察に逮捕され、金海(キムヘ)保安隊に移牒された。

 
◆保安隊の取調室で接した大統領の逝去

金海保安隊ではいかなる取り調べもなく、むやみに殴られた。背中と尻、ふくらはぎなどをひどく打たれ、横になることもできない状態であり、机でうつ伏せになっていた。その時、飛ぶ鳥も落とすという対共捜査団長が降りてきた。48時間、部下に私を殴らせた理由が分かるようだった。

取り調べが始まって23時間が経過した。午後9時頃だろうか。捜査官全員が出ていき、取調室には私一人が残った。1時間過ぎても誰も帰ってこなかった。2時間が経過してもそのままだった。徐々に怖くなった。「どれほど大きな陰謀にこれほど時間がかかるのか」。一日が過ぎて翌日の晩になると雰囲気がかなり変わった。「大丈夫だと思う」。憲兵の言葉からして柔らかくなった。また夜が明けて28日の午後に釈放された。朴正熙大統領の逝去をその時に知った。

私は瞬間的に「我々が勝った」と言いながら歓呼した。1965年に大学に入学してから1979年まで、ひたすら「独裁打倒、維新撤廃」ばかりを叫んできたし、1970年代には清渓川(チョンゲチョン)のバラック小屋で煉炭でラーメンを作って食べながら貧民を組織して社会革命を起こそうとしていた青年に、朴正熙の死は「勝利」そのものだった。朴正熙が死ななければ孫鶴圭が死んでいたか、少なくとも死刑を言い渡されていたからだ。

ところが韓国の最近の危機状況を見ながら「もし朴正熙が今いればどうだろうか」とよく考える。韓半島(朝鮮半島)には北朝鮮の弾道ミサイルが次々と発射され、空母・戦略爆撃機・原子力潜水艦など米軍の戦略資産が韓半島の上空と周辺海域で活動している。

◆中央政府の役割が見えず

北朝鮮の7回目の核実験が予想される中、政治家の間では戦術核の再配備にまで言及されている。中国の習近平国家主席が台湾武力侵攻の脅威を与え、ロシアのプーチン大統領はウクライナを侵略した戦争で戦況が不利になると戦術核使用カードに触れているという。このままいけば本当に韓半島に核戦争が起きるのではと心配になるほどだ。

問題は軍事的な危機にとどまらない。米連邦準備制度理事会(FRB)の急激な金利引き上げで韓国の物価が高騰し、ウォン安ドル高が進んだ。貿易赤字が続いて経常赤字までが深刻になり、危機状況が深まっている。バイデン米大統領の就任以降、米中の対決が半導体をはじめとする経済覇権競争に広がり、韓国経済が犠牲になる危機を迎えている。バイデンの自国産業保護政策で、中国だけでなく同盟国の米国と韓国の間で雇用をめぐるゼロサムゲームが生じている状況だ。

国内外で未曾有の安保危機に経済危機までが重なっているが、政治リーダーシップは泥沼から抜け出せない。半導体覇権戦争で米国と日本は税金減免と莫大な現金支援で企業を誘致しようと政府が動いている。ところが韓国では京畿道龍仁(ヨンイン)半導体クラスターの着工が地方自治体の利害関係のため3年も遅れている。2026年に完工する計画が2027年にも終わらない状況だが、中央政府の役割が見えない。このため朴正熙のリーダーシップを話す人が増えている。

私は朴正熙の情報政治・恐怖政治を恨んでいる人間だ。布教資金事件で2年間ほど逃避生活をした当時、母ががんで亡くなる直前に病院に潜入したことがあった。1年半ぶりに現れた末っ子を見て発した最初の一言が「お前がどうしてここに来るのか。早く行きなさい。兄までみんな滅ぼすつもりか」と言って追い出された。私は孫たちの菓子でも買うようにと3万ウォンを渡した。

母は「何のお金なのか。パルゲンイ(アカ、共産主義者)のお金でないのか」と言って拒否しようとした。そのお金は前日に母が私の妻に小遣いだといって渡した3万ウォンだった。母が渡したお金をそのまま母に渡そうとしたが、母はそれをパルゲンイのお金と疑ったのだ。母をそのようにした朴正熙を私は決して認めることができなかった。

【寄稿】安保・経済複合危機、朴正熙リーダーシップを振り返る=韓国(2)

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    2022.10.26 16:18
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