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【コラム】韓国政府のK防疫自画自賛は恥知らずなこと(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.07.26 12:06
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「K防疫」が危機に置かれた。昨年1月にコロナウイルスが初めて流入してから1日の感染者数が現在のように急に増加したことはなかった。首都圏外への感染拡大も最高値を繰り返し更新している。すでに疾病管理庁は1日の感染者数が2000人台を超えるという見通しを出した。そうでなくてもコロナ流行の長期化により心身ともに疲れている国民としては耐え難い状況に達した。とても残念なのは韓国政府が出した楽観的シグナルが事態を悪化させる起爆剤だったという点だ。よほどでなければ首相が出て国民向け謝罪までするだろうか。これにより世界の模範事例と評価されたK防疫が、実は虚像に近かったのではないかとの疑問まで提起された。

しかし詳細に見てみればこれまでK防疫を成功に導いたのは政府の牽引力というよりは国民各自の危機対応力にあった。筆者が最近著した『新型コロナと韓国のガバナンス』が事実調査結果を土台に過去1年間の経過を追跡してみたところ、状況が極度に深刻化すれば間違いなく国民が自ら前面に出る能動的対処で事態を沈静させてきた。政府が何をしようが国民各自が危機を乗り越えてきたのだ。これは状況が深刻化するほど国の指導力に対する依存度が低くなるという意味だ。感染症退治が要求する時間の切迫さに照らして政府を通じて対応する場合、そこで発生する転換費用を最小化することが容易ではないとみるためだろう。しかし深刻な局面が落ち着けば間違いなく政府の牽引力に道を明け渡し受動的対応態勢に転換した。疾病から国民の健康と安全を守ることの一次的責任は国にあるという意だ。

 
◇危機の際には献身・犠牲もいとわず

このように国民が前面に出て国の危機を克服することは韓国の近現代史を通じて綿々と受け継がれてきた。大韓帝国末期に国の債務により国が日本帝国主義に吸収される危機に置かれると自らの財産をはたいて国の負債償還に立ち上がった国債報償運動が起きた。日帝治下では国の独立に向け命を投げ打って日帝の要人暗殺に立ち上がる義血団運動が頻発した。これは韓国と同じく日帝の侵奪に苦しめられた当時の中国では探してみるのが難しい現象だった。最近では通貨危機に陥ると金製品集め運動を通じて国の経済を救うのに先に立った。泰安(テアン)半島の原油流出事故の際も延べ数百万人のボランティアが浜辺の油汚れをなくすために立ち上がった。個人主義、利己主義、経済的合理性に馴致された西欧の目では到底理解し難いことだろう。

国が危機に瀕したと判断される場合、自身の利害関係を超越して献身と寄与をいとわない韓国社会特有の文化的特性はその根源を高麗末朝鮮初期から韓国社会を貫いてきた儒教に求めることができそうだ。「修身斉家治国平天下」の言葉に見るように儒教の公職観によると国家と社会は家族の延長体と変わらない。そんな家族に献身することこそ教養のある人間が取るべき最高の徳目と考えた。そうしたために公的領域としての国と私的空間としての家族社会の間の境界が不明瞭で流動的なのが韓国の社会的・文化的特性のひとつだ。国に功を立てて出世することこそ最も大きな親孝行と考えるのも同様だ。これを家族主義国家観というならばコロナによる社会的危機に瀕してもわが家族、わが国のため献身と犠牲をいとわない家族国家パラダイムが作動することは当然の道理だ。

◇政府の防疫緩和が状況悪化させる

こうした観点から見れば感染症から自分の家族の健康を守るためには共同体全体の防疫が先決されなければならず、このために個人の不便さや自由な活動に対する欲求を抑制してマスク着用に乗り出したり、社会的距離確保に忠実なのはあまりにも当然の選択肢となる。実際にコロナ発生初期に大邱(テグ)では政府がマスク着用を推奨したり社会的距離確保を要求する前に市民が率先してマスクを着用したり社会的距離確保に出ている。問題はこうした家族国家意識が作動するためには、状況が危機という社会的認識が拡散しなければならないという点だ。

【コラム】韓国政府のK防疫自画自賛は恥知らずなこと(2)

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