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【特別寄稿】米ソ解放軍・占領軍論争をどう見るのか=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.07.09 15:39
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国家経営で歴史を忘れるのも悲劇だが、歴史論争が過熱し、陣営論理に飛び火して国論が分裂するのは悲しいことだ。歴史は前へ進むが、後ろばかりを振り返るのは、前の障害物が見えない危険があり、動力を失って退行するかもしれない。

解放政局での米国とソ連は占領軍か解放軍かをめぐる論争が韓国社会に広がった。筆者の目には実益のない国力の浪費として映る。その問題の解答は簡単だ。ソ連と米国ともに日本の植民地に残った日本軍の武装解除のための占領司令官(Commander of Occupational Army in Korea)だった。

当時、韓半島(朝鮮半島)には日本人が75万人いたが、うち35万人が武装していた。武装軍がこのように多かったのは、関東軍が最後の抗戦のために南進したためだった。米国とソ連は戦争が1946年7月まで続くはずで、本土の日本軍が降伏しても関東軍は抗戦するだろうと判断していた。このため日本軍の武装解除が彼らの主な関心事であり、韓半島の解放は関心事から外れていた。

 
当時の「布告令」をどう見るかも論争だ。1987年、筆者は布告令を比較分析した論文を初めて発表して論議を呼んだ当事者であるため、説明する責任がある。筆者はソ連軍の布告令は友好的であり、米軍の布告令は高圧的だという点を指摘した。しかしその後ろに続く部分で、それは文章の修辞の問題であり、双方の意志を反映するものではないことを明確にした。ところがその後の教科書問題で、進歩的学者が私の真意とは関係なく前部だけを引用したのをみて驚いた。

問題の核心は文章でなく進入軍と布告令作成者の性格だった。当時、米軍布告令は2つあった。

1つは米国陸軍第24軍団長ジョン・リード・ホッジ将軍(米軍政司令官)の参謀が北上する艦上で1945年9月2日に作成し、仁川(インチョン)入港前日の9月7日にソウル近隣と大都市に空中散布した。鉄筆で謄写した布告令の文章は日本語で作成された。第24軍団には韓国語に堪能な将校がいなかったうえ、当時の米軍は日本語が国語と考えたからだった。

米太平洋軍司令官マッカーサー将軍の名義で発表した9月7日付の布告令もあった。自ら「東洋のカイザル」と考えたマッカーサーらしい文章で、米軍は占領軍であることと禁止事項を明示した。文章は英語で書かれたため、識者の間で分かる人だけが読んだ。法条文のように全文6条からなるこの布告令は、ソ連軍第25軍司令官チスチャコフ将軍の名前で配布した要請文とは格調が違った。その要請文はハングルの敬語で北朝鮮住民に配布された。

【特別寄稿】米ソ解放軍・占領軍論争をどう見るのか=韓国(2)

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