【コラム】ハノイ米朝会談決裂の衝撃、緊張形成にUターン(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.07.02 15:06
こうした中、金委員長は1月に改正した党規約から、金日成(キム・イルソン)と金正日の表現を削除した。また次期支持勢力の青年同盟の名前も、金日成・金正日主義青年同盟から社会主義愛国青年同盟に変えた。執権から10年を迎え、一人立ちしようとしたと解釈される。しかし新型コロナ、自然災害、北朝鮮制裁の三重苦で順調に進まない。昨年4月15日(北朝鮮では太陽節)と党創建記念日(10月10日)までの完工を指示した葛麻(カルマ)休養地と平壌総合病院の工事は終えることができなかった。金委員長の「人民愛」を見せようとする野心に満ちた計画が、対北制裁などで支障をきたしている。対外交渉が再開される兆候も見えない。
先月28日の労働党機関紙・労働新聞は、金委員長に関連した長文の特集記事を掲載した。「勝利と栄光で輝く偉大な革命領導の10年」という見出しだ。同紙は「奇跡の歳月を抱いてきた祖国の10年、本当に多くのことを見て体験した」と、過去10年を整理した。そして金委員長の言葉を載せた。「10年間、私の事業を総和(決算)すれば、偉大な首領様(金日成)と偉大な将軍様(金正日)が開いた主体(チュチェ)一筋を歩んできた日々だったと言うことができる。『永遠に一本の道を進む』、これが私の信念であり意志」と明らかにした。ハノイ衝撃後、金委員長は46年間にわたり指導者だった祖父と、後継者生活を含めて37年間にわたり権力の座にいた父の経験を反すうしているようだ。金正日総書記は極度の経済難に直面した1997年、「私から変化を望むな」と述べた。しかし5年後、経済管理改善措置を取って市場経済要素を導入した。南北首脳会談に臨み、距離があった中朝関係も復元した。結局、外部との意思疎通が正解だったということだ。