<李健熙サムスン会長死去>執念と根性の人生ドラマ…日本留学中に力道山を訪ねる
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2020.10.26 09:46
故李健熙(イ・ゴンヒ)サムスン会長は1993年、サムスンの「2流根性剔抉」を叫んだ新経営宣言の翌月、社長団を大阪に呼んだ。「片手を縛って24時間過ごしてみなさい。苦痛であるはずだ。しかしこれを克服してみなさい。私はやってみた。これが習慣になり、快感を感じ、勝利感を得ることになれば、その時に変わるのが分かるはずだ」。サムスン社長団はこの話を聞いてサムスンの慢性病を乗り越えようとする李会長の苦悩を感じたという。
李会長は42年に大邱(テグ)で生まれた。当時、三星商会の経営に忙しかった故李秉チョル(イ・ビョンチョル)先代会長は、故郷の慶尚南道宜寧(ウィリョン)に李会長を送り、李会長は祖母の下で育った。李会長が6歳になって家族がソウル恵化洞(ヘファドン)に一緒に暮らすことになった。李会長は釜山(プサン)師範小学校に通っていた5年の時、父の勧めで日本に留学した。当時は目立たないおとなしい生徒だったという。しかし話し始めると反論しがたい知識と論理で友達を当惑させたというのが、周囲にいた人たちの話だ。