<プレミア12>敗戦の理由より重要な敗戦「以後」
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.11.19 14:32
2006年12月2日、ドーハ・アジア競技大会の野球の韓日戦。韓国の先発投手はかなり緊張していたようだ。4-0とリードした3回裏、四球2つを出して一死一、二塁となった。その後、2点二塁打、2点本塁打を打たれて降板した。韓国は7-7の同点に追いついた。しかし韓国の抑え投手は9回裏、サヨナラ3ランを浴びた。その2日前に台湾に2-4で敗れていた韓国は、社会人リーグ選手で構成された日本代表に勝てると思っていた。衝撃の7-10逆転負け。韓国オールスターチームがアジア競技大会で銅メダルに終わったこの事件は「ドーハの惨事」と呼ばれている。
日本戦の韓国の先発は柳賢振(リュ・ヒョンジン、32)、抑え投手は呉昇桓(オ・スンファン、37)だった。後にメジャーリーグ(MLB)でトップ級の投手になった2人の最初のアジア競技大会はこのように苦い経験となった。数年後に韓国代表のテーブルセッターとして活躍した鄭根宇(チョン・グンウ、37)、李容圭(イ・ヨンギュ、34)もドーハでは持ち味を出せなかった。