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韓経:【コラム】後期朝鮮時代に回帰するのか=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.11.09 10:46
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「公的には清教徒、私的には変態」。最近のホットな映画『ボヘミアン・ラプソディ』でクイーンのギタリスト、ブライアン・メイが米国人の二重性を皮肉った言葉だ。似た言葉を韓国をよく知る外国人から聞く。

「韓国は確かに道徳志向的な国だが、韓国人がいつも道徳的に生きているという意味ではない」。ソウル大で8年間ほど韓国哲学を研究した小倉紀蔵京都大教授が著書『韓国は一個の哲学である』でした韓国社会に対する評価だ。「道徳志向性は実際『道徳的』なものでなく、すべての言動を道徳に還元して評価する」という。「澄んできれいだ」という形容詞が焼酎から政治にまでよく使われる点からそうだ。

 
韓国人の「道徳志向性」は朝鮮時代の儒教、特に性理学に基づく。修己治人の王道政治を目指した性理学が党派争い、偽計と差別、士農工商、官尊民卑を固着化させた源泉になったのは逆説的だ。朝鮮が両乱(壬辰倭乱、丙子胡乱)後、国家機能を喪失しながらも350年余り存続した背景だ。

韓国に詳しい深川由紀子早稲田大教授も「過去よりも儒教・道徳的性向が深まった」と指摘した。企業のリスク甘受、成果に対する尊敬・尊重の代わりに、企業の誤った部分だけを浮き彫りにする傾向が強まったということだ。英国言論人マイケル・ブリーン氏の「韓国人は驚くほど同質的」という観察を加えると、今日の多くの奇異な現象に関する説明が可能になる。

まず政治から道徳性向的だ。同じか違うかを善悪の基準とし、同じ側には限りなく寛大であり、反対側には必死にとびかかる。中宗12年(1517年)「自分と考えが同じなら善人とし、考えが違えば悪人という」という実録記録を改めて思い出す。勲旧、戚臣に比べて持つものが少ない士林派は道徳的優越感に基づいて世の中を裁断した。現在の586(60年代生まれで50代、80年代に大学に通った世代)運動圏を「士林派の再臨」とみる歴史学者もいる。

西洋の近代化が進んだ17世紀、朝鮮では喪服を何年着るかをめぐり20年間の激しい論争があった。調整と妥協の代わりに妨害や報復ばかりが残っている今日の「マイナス政治」も変わらない。当時も今も民生を放り出すのは同じだ。歴史著述家チョ・ユンミンは「学者官僚が多かった17世紀後半、朝鮮の政治空間には謀略と中傷、暴力の権力肖像が鮮明にあった」と評価した。(『2つの顔の朝鮮史』)

正義を実現するという司法府は証拠と法理の上に「民意」を置く印象が強まっている。検察は塵が出るまではたき、被疑の事実を漏らして先に世論裁判にかける姿だ。裁判所は波紋と被告の「反省」の程度によって量刑を決める。殿様裁判とどれほど差があるのか分からない。

商業蔑視も本質は変わらない。朝鮮社会は商人のように利益を追求する人を「汚れた奴」と見下した。巨商さえも晩年には商売をやめて両班(ヤンバン)になろうとした理由だ。小倉教授が「儒教では道徳と権力と富が理想的に三位一体であるべきと考えるが、現実では絶望的なほど不可能に近い」と指摘した点は否認しがたい。各自が私益を追求することが公益的な結果をもたらすというアダム・スミスの偉大な発見が性理学的な世界観では容認されなかった。

今の韓国社会では市場経済と経済的自由に言及すれば極右にされるほどだ。企業が世界市場で成功して成長するのに比例して、企業を叩いて利益(金銭、名声、影響力など)を得る人が増えている。「小さく成功すれば暴力団が訪ねてきて、大きく成功すれば政治家が訪ねてくる」という言葉のように、国政監査は財界人を呼んで叱り飛ばす『企業監査』に変質して久しい。

朝鮮末期にも変革の機会はあった。しかし丙子胡乱を経験しても慕華(中華を慕う)思想に浸って万東廟、大報壇を建てる退行を繰り返した。世界史の最も躍動的な時期に北伐が北学に変わるまで100年余り虚しく過ごした代価が亡国だ。今はその時代よりどれほど進歩しただろうか。

オ・ヒョンギュ/論説委員

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