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キャンパス内に建てる初の「平和の少女像」、総学生会による募金活動の実り(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.12.20 15:00
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このように学生たちが自主的に平和の少女像建設に出た理由は7月にさかのぼる。当時、大学総学生会所属の学生たちはサイパン北側のマッピ山を訪れた。マッピ山は第2次世界大戦当時、旧日本軍司令部があった所だ。

マッピ山の中腹にある太平洋韓国人違令平和塔公園には海外で犠牲にされた同胞を賛える追悼碑がある。大邱大学は開校60周年を迎えて昨年設立者である故イ・ヨンシク牧師の民族愛を賛えるためにこの碑を建てた。

 
ここを訪れた学生たちは「第2次世界大戦当時、日本に強制的に徴用され、犠牲になった同胞を追慕し…」という碑文が書かれた追悼碑(横・縦2メートル)を見学した。

日帝強占期に独立運動をして数回にわたって投獄された独立活動家であるイ牧師は1975年にグアムを訪れたが、海外在住韓国人から日本の徴用に連れて行かれて犠牲になった5000人余りの韓国人遺骨があると聞いた。サイパンとティニアンのジャングルに放置されているということだった。

ティニアンはサイパンから南に5キロメートル離れた隣島だ。この島は第2次世界大戦当時、米国と日本が島を奪還するために激しく戦ったところだ。ジャングルに放置されている韓国人遺骨を探さなければならないと考えたイ牧師は、志のある学者らと2年間にわたってサイパンとティニアンのジャングルを調査した。

ティニアンのジャングルにある日本人墓地付近で「朝鮮人之墓」という碑石を捜し出した。墓3基も近くで見つかった。このように2年間、イ牧師などは数千の韓国人遺骨をジャングルから発掘した。それから奉還して海外同胞の安息のために建設された天安(チョナン)望郷の丘に安置した。

大邱大学のホン・ドンニュル学長は「イ牧師は1981年、老衰で亡くなった。ところが彼が残した人類愛・民族愛の精神を賛えて追悼碑をサイパン現地に建て、毎年大学と財団がサイパンを訪ねて追悼行事を行っている」と話した。

これを直接目にした大邱大学総代議員会のキム・ジュンヒョン議長(23・不動産学科4年)は「サイパンで犠牲になった同胞の話を聞く間、鬱憤を感じた。このような不幸な歴史が繰り返されないようにしなければならない」と話した。その後、総学生会・総代議員会など学生自治機関の学生たちを中心に平和の少女像建設まで至ったわけだ。

キム・ソヌィ総学生会長は「平和の少女像建設はその間、我ら自らが旧日本軍慰安婦問題についてよく分からなかったことに対する反省であり、歴史的に間違っていることを忘れまいという決意だ」と話した。


キャンパス内に建てる初の「平和の少女像」、総学生会による募金活動の実り(1)

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    2017.12.20 15:00
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