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【コラム】「狂った政治」から「易しい政治」に向かおう=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.08.12 17:06
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米国政治がただならぬ状況だ。世界の自由民主主義の発展を導いて進むべき先導国米国の大統領選挙の政局で「狂った」「某候補のために本当に戻ってしまう」という言葉が公然と米国国民・有権者の口から出ている。インターネットを調べれば「今回の選挙期間を狂わずにまともな精神で乗り越える5つの秘法」のような題名の文などが掲載されている。次のようにすすめる文だ。「メディアに触れることを当分絶って小説を読め」「時間をつくって祈りなさい」。

信仰の力を借りなければ今回の米大統領選挙で精神の健康を維持できないほど米国政治はめちゃくちゃなのだろうか。どの程度まで代表性があるか分からないが、極端な例がよく発見される。例えば竹馬の友なのに選挙について甲論乙駁して絶縁するというケースも出てきている。掲示文が自分の考えとあまりにも違っていてフェイスブックの友人リストから削除してしまったりもする(人々とは絶対に政治や宗教を語るなという警告もあるが、実際、政治や宗教について互いに意見を言い合えなければ真のオフラインの友人でもオンラインの友人でもない)。こうしたことは米国だけでなく韓国でも広がっている。異常な「狂った政治」は世界のあちこちでニューノーマル(new normal)になった。

 
「結婚は狂気の沙汰」という映画もあるが、事実政治の属性の1つは少なくとも特定時期、特に世界的・国家的な大転換期には狂人が政治を主導する可能性が高いという点だ。平常時にも相当部分まともな精神状態、素の精神ではできないのが政治だ。政治に生半可に浸かれば身を滅ぼす恐れがある。

政治家として成功して権力の頂点である大統領になっても同じことだ。韓国の大統領は大統領になる前や後に、平凡でそれなりに幸せな一般人は決して経験できない亡命・暗殺・投獄・自殺を体験した。子供まで閉じ込められる場合もある。政治家になっていなかったら恐らく決して起きなかった不幸だ。人は何といっても命が一番大切だ。だが指導者になるには死をも覚悟しなければならない。政治家ではなく参加的な市民(コメントをつけて投票する)でさえも絶縁まで覚悟しなければならないのが政治の世界だ。政治の極端な形は戦争だ。政治が狂えば戦争勃発によって数多くの罪なき命が犠牲になるかもしれない。

「狂った政治」は政治の属性自体に常に潜在しているが正常な状態ではない。「狂った政治」を正常な状態に復元するにはどうすべきだろうか。「狂った政治」の反対語は何だろうか。辞書的意味の反対語と現実的意味の反対語が必ずしも一致するわけではない。愛の反対語が憎しみではなく無関心であることもあるように。「狂った政治」の反対は「易しい政治」だ。次のような認識からだ。


【コラム】「狂った政治」から「易しい政治」に向かおう=韓国(2)

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