【コラム】韓国にはそれでも希望遺伝子がある(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.01.19 10:38
乙未年の年末は憂鬱だった。青春時代より懸命に走っても暮らしに悩まされ、国経済は危うい状況だった。丙申年の新年が始まったけれども希望は浮び上がってこない。国民が力を加えてほしいという大統領の切実な呼び掛けも、ただ耳元をかすめていくだけだ。家族と国家のために、ひたすら熱中して走っていた記憶は遠ざかった。最近の意識調査によれば、社会の現実に対する市民的な冷笑感が最高潮に達したということだ。冷笑は不信の表出の窓口であり、不信は利己的な隠れ場所の内壁を強化する。解放後70年の間、血と汗で構築してきた「希望の韓国」が冷笑とあきらめの泥沼に陥るのを対策なしに眺めなければならないこの時代の人生は苦しい。
その「対策のない」馬ダンスで世界を席巻した歌手PSY(サイ)が話した。「韓流の競争力は、熾烈さとち密さから出てくる」と。しおれていたこの時にそんなふうに言ってくれるのは有難いことこの上ない。政治、企業と社会の指導者が韓流企画会社ぐらいのことさえすれば日本も中国も怖くはないだろう。1、2年の世界興行のために10年の苛酷な訓練と企画投資を敢行する長期的な見識の執拗さが韓流の原動力だ。熾烈とち密さにおいて韓流に追従する国内産業はない。ソウル大学工科大の教授が痛烈に指摘したように「蓄積の時間」が「興行の時間」よりも数倍にのぼる産業だ。