言葉を変えた日本…端島のどこにも強制徴用の記録はなかった
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.12.24 13:22
22日、長崎港から船に乗って30分ほど行くとすぐに灰色のアパートであふれた島が見え始めた。軍艦のような島なので「軍艦島」と呼ばれる端島だ。端島は7月に「明治日本の産業革命遺産」のひとつとしてユネスコ世界遺産に登録されたところだ。朝鮮と中国の青年たちが連れてこられ石炭採掘強制労働をしたが、端島ではそうした記録を見つけることはできなかった。
北東アジア歴史財団は韓中日共同歴史教科書開発のために歴史現場に対する理解度を高めるという趣旨で21日から学界関係者らとともに端島などを現地調査した。踏査で確認された事実は歴史に対する韓日間の大きな認識の差だ。まず端島が「地獄島」という別称で呼ばれたという事実は日本ですらほとんど知られていなかった。長崎港のチケット売り場の横には端島内部の姿が分かる模型があった。模型にはアパートや病院などがぎっしりと詰まっており、しっかりと組まれた計画都市ということがわかる。だが、案内文や観光パンフレットのどこにも当時ここに朝鮮人と中国人が強制的に連れてこられて働き、朝鮮人数百人が死亡したり失踪したという言及はなかった。