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【コラム】謝罪要求は、もうそれぐらいにして=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.08.18 11:23
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彼は反省とおわびに言及しながらも、その対象を「先の大戦での行動」に限定した。植民地支配は対象からはずれている。戦争の陰で名誉と尊厳を傷つけられた女性を取り上げながらも日本軍の慰安婦は口にしなかった。内鮮一体の皇国臣民であり、内地人だった朝鮮人に対しては謝罪することはないという認識の発露だったのだろう。安倍談話について韓国と中国で、水増し・幽体離脱・間接謝罪・形だけ謝罪といった批判が出てくるのは当然だ。

安倍首相は「侵略に対する定義は定まっていない」と公言して、侵略戦争の象徴である靖国神社をこれ見よがしに参拝した人物だ。そんな彼にで期待できる「最大値」が何なのかを、安倍談話は明らかに見せた。A級戦犯を母方の祖父に持つ彼の限界だ。これ以上、彼に謝罪を要求するのは無理だ。

 
400年余り前、日本は朝鮮を侵略した。自ら国を守る力がない朝鮮は、明国に救援を求め、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)は日中戦争になった。忠武公が活躍した海で韓日戦争の様相を見せただけだ。延世(ヨンセ)大学のソン・ボク名誉教授が著書(『柳成龍(リュ・ソンリョン)、国を再びつくる時になりました』)で指摘した通り、壬辰倭乱は「朝鮮分割戦争」だった。倭は朝鮮の南側4島を占領しようとし、明は漢江(ハンガン)北側4島を守って防衛の垣根にしようとした。言葉では表せない苦痛と侮辱を受けても朝鮮は「懲ビ(先の過ちを戒めて後難を警戒する)」できなかった。急忘と外勢依存に陥った朝鮮は300年後、国を日本にそっくり譲り渡してしまった。自ら強くなれず植民地となり、ついに南北分割までが現実となった。

光復(解放)70年を迎えた韓国に「偉大な旅程」を祝う歓声や合唱はあったが、どこからも懲ビの声は聞こえなかった。懲ビを通した自強こそ、安倍談話に対する私たちの最も強力な対応だ。だが大統領の光復70年の祝辞にも懲ビと自強の叫びはなかった。声ばかり張り上げるとなるのは、もちろん違う。賢くならなければならず、道徳と品格で尊敬を受けなければならない。果たして私たちは賢いのか。安倍首相を恥ずかしくさせるほどの徳性があるのか。まだまだだ。

ペ・ミョンボック論説委員・巡回特派員


【コラム】謝罪皗求は、もうそれぐらいにして=韓国(1)

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