【時視各角】リー・クアンユーが朴正熙を尊敬した理由(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.03.24 10:24
許文会はIRRIですでに開発していた単粒のインディカ種に注目した。多収性だったが韓国人の口に合うジャポニカ種と品種が違うのが問題だった。ジャポニカ種とインディカ種の交配は不可能とされていた。1920年代に日本の農学者によりこの2つを交配しても実らないというのが定説だった。だが許文会は数百回の失敗にもあきらめなかった。インディカ種とジャポニカ種を交配して得た一部の突然変異の種子を単粒インディカ種と交配し繁殖させるのに成功したのだ。
朴正熙は統一稲を強く推した。秋には金堤(キムジェ)平野の畑に直接入り統一稲を一粒ずつ数えた。80~90粒だけだった落ち穂に140粒以上が実っていた。その日の朴正熙はとても気分が良くマッコリの杯を続けざまに空けた。統一稲のおかげでコメが50%以上増産され、77年には自給自足まで成し遂げた。韓民族の天刑だった「春の端境期」が消えたのだ。許文会は2010年に「科学技術者名誉の殿堂」に献呈され、その2カ月後に他界した。