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【時論】 「疎通」のない政治は見込みがない=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.02.13 10:18
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時々碁を打つ2人がいた。ある日1人が突然、囲碁を一緒に打たないと言った。理由はすなわちインターネット碁を打ってみたら人と向かい合って座って碁を打つのが嫌になったということだ。

囲碁を手談とも言う。手で対話するという意味だ。しかし手だけで対話するのではない。口でもする。「もう負けたと降参したらどうか…」「囲碁がちょっと衰えた、レベルを正してはどうか」「とんでもない…」と互いにつぶやく。

人と向かい合って座って碁を打ちたくないということは人間性の喪失だ。顔も分からない人と碁を打つのが良いならば人の機械化だ。それは寂しい話だ。

政治とは何なのか。それは対話であり妥協だ。妥協は疎通なしに成り立つことはできない。

疎通とは何か。会って、話を交わすことだ。傾聴して反論して譲歩して…そして笑って意志を合わせることだ。顔を見て笑って勝敗を受け入れることだ。

最近、増税と福祉論争が盛んだ。税率は鉄則でなく可変的ということ、福祉は大きいほど良いが経済状況に合わなければならないということぐらいは財政専門家でない人でも知っている。一方が税率を上げようと言えばどの税率をどれくらい上げるかを相談すれば良いのだ。どれかを少し上げてどれかを少し下げる方法もあるだろう。

一方ではたばこの値上げも増税だと主張する。しかし値上がりしたたばこもその価格は世界中のどこの国よりも安い。ある階層にばかり負担を与えるという主張を前面に出す人々もいる。また、どちらか一方では税率を上げれば企業の競争力が落ちると主張する。ひとまず上げてみて競争力の低下が科学的に立証されれば再び調整すれば良いものを。

ところがおかしなことに、増税論や福祉維持論を主張する人々はそれがあたかも絶対的正義で不変の原則のように話す。極端主義や独善を排撃し、漸進主義や妥協へと進む柔軟性が民主主義でないか。

朴槿恵(パク・クネ)大統領の演説や談話を聞くと非常に論理的だ。しかし誰かが指摘したように朴大統領の原則論は感動を与えることができない。なぜ感動を与えることができないだろうか。原則論は正しい場合が多いが温かみがなく索漠としているためだ。

与野党の代表や院内代表が握手する写真をたまに見ることができる。その後で出てくる報道は双方の平行線だ。中身の妥協はなく手続きの折衝だけだ。真の疎通なしにインターネット囲碁を打つのと何が違うのか。国民はもうそのような写真に嫌気がするかもしれない。
【時論】 「疎通」のない政治は見込みがない=韓国(2)


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