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【時視各角】“正しい話”ばかりする韓国社会(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.05.24 17:55
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若いネットユーザーの間で人気サイトに浮上したあるブログは、恋愛失敗談を共有するスタディー空間を標ぼうする。 数日前、偶然に入ったところ、いろいろなストーリーにのめり込んだ。 運営者は案内文でブログの性格をこう説明している。

「私たちの空間は‘正しい話’を書き込んで、それに対して‘正しい話’をするところではありません。 ‘あり得る話’を書いて大人のマナーで対話するところです」。

 
例えば「不細工な女性には引かれない」という男性の言葉に、「それでも内面を見るべきだ」と指摘したり、「身長が低い男性は男性と感じられない」という人を訓戒したりするところではない、ということだ。 その代わり「そういう人もいるんだ」「私が会う人もそういう考え方かもしれない」と受け入れればよいということだ。

もしかすると、韓国社会が直面している世代間・階層間の疎通不在も、いわゆる‘正しい話’と関係しているのかもしれない。 私たちは検証されてもいない通念で、正しい言葉、当然の言葉だけを言おうとしているのではないだろうか。 実際に言いたいことは話せずにいるのではないだろうか。 テレビの討論を見てみよう。 出演者が男女、老若、地域、日本・米国、保守・進歩について自分の考えをそのまま話すと、妄言または失言波紋が広がる。 このため、よっぽどの勇気や戦闘力がなければ討論に出ようとしない。

歌手のチョ・ヨンナム氏は05年、『殴り殺される覚悟で書いた親日宣言』という本を出したが、本当に殴り殺されるところだった。 「克日のために日本をきちんと知ることが必要だ」という趣旨だったが、世論の袋叩きは避けられなかった。 日本人作家・村上龍氏の『村上龍料理小説集』ははるかに挑発的で退廃的だ。 料理と女の話を綴ったこの本の序文で村上氏は「私はヨーロッパで人生最高の浪費を楽しんだ」と自慢する。 彼の主張、すなわち「もっと儲けよう、もっと貯蓄しようという悲しい農耕民的な価値観がバブル経済とデフレーションを起こす。 浪費は美徳」ということだ。 韓国の作家がこういう主張をすると、数カ月間は外国に出ていかなければならないかもしれない。




【時視各角】“正しい話”ばかりする韓国社会(2)

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