【コラム】韓国の景気、座して死ぬのか戦って死ぬのか(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.10.13 14:12
1997年11月に通貨危機が発生すると、「憂国之士」が続出した。「早くから危機を警告したが、私の話に耳を傾けず、こうした事態になった」という主張だった。これをメディアに流したりもした。韓国銀行(韓銀)は同年3月にすでに通貨危機を警告する報告書を出していたと、自己防御に動いた。他の研究機関や専門家も「私は警告した」と主張した。
さらに通貨危機の主務部処である財政経済院(現企画財政部+金融委員会)内で「私は警告した」という声が出てきた。責任を免れようというのか英雄になろうというの知らないが、多くの人が似たような対応をした。そのような才能がない人たちは通貨危機の主犯にされた。
学習効果はすごかった。2000年代のドットコムバブル、カード大乱、不動産過熱、金融危機など経済が揺れる度に「私は警告した」が相次いだ。鋭い洞察力を持って危機を予測したり政策を批判したりした人が多かったが、そうではない場合も少なくなかった。こういうものが複雑に絡んで状況判断をさらに難しくさせた。