【コラム】韓国政治のマヒ、お手上げなのか(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.09.22 11:15
このように民主主義の大原則である「多数による統治と、少数の権利保障」に対する国民的確信が未熟な状況で、87年体制が比較的無難に最初の15年を運営できたのは恐らく当時の韓国政治を導いた盧泰愚(ノ・テウ)、金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)、金鍾泌(キム・ジョンピル)ら4人の指導者が多数と少数の関係に対するバランスの取れた認識を持っていたために可能だったと回顧される。
彼らは例外なく本人が大多数の国民の支持を受けることができないという事実を自認して、執権のためには、さらに執権後の国政運営のためには多数の支持を確保するための妥協と連合が必要だという政治の基本原則を確かに理解していた現実主義の政治家たちだったために民主化時代の初期の安定を担保するのに大きく寄与したと言える。
2002年の大統領選挙後から韓国政治では安定よりも不安定の力学が次第に議会民主主義の基本を揺さぶる病理的現象が深まることになった。国民が直接選挙で選んだ大統領や国会、特に「多数による統治」という原則を軽く無視する風潮が日常化されたためだ。選挙結果で出てきた劣勢を強い所信と組織力で穴埋めできるという危険な発想がよどみなく流行してきた。その結果として多数党ながらも自信や責任を感じられない一方、少数党はむしろ全国民を代表しているかのように幻想に染まった民主政治の奇形化を持ち込んでしまったのだ。