【時視各角】「映画『鳴梁』は歴史歪曲だ」(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.09.10 08:31
李舜臣(イ・スンシン)将軍の丁酉年(1597年、鳴梁海戦当時)日記は2種類がある。一つは簡単な事実だけを記録したもので、もう一つはもう少し詳しい。詳しい日記に記録された慶尚右水師・ペ楔(ペ・ソル)の関連内容はこうだ。
8月17日に軍営(康津)に到着すると、誰もいなかった。慶尚水師のペ楔は私が乗る船を送らなかった/18日、会寧浦に行った。ペ楔は船酔いを口実に出てこなかった/19日に将帥らに教書に粛拝させたが、ペ楔はしなかった/25日、唐布の漁夫が避難民の牛を盗みながら外敵が来たと嘘をつき、驚かせた。(嘘ということを知って)軍士らは安心したが、ペ楔はすでに逃げた/27日、ペ楔が来たが、おびえていた。私はそっと「水師はどこかに行ってしまったのではなかったのか」と話した/30日、ペ楔は敵が押し寄せるのを心配して逃げようとした。このため彼の部下の将帥らを呼んで率いた。ペ楔が奴婢を通じて「病気がひどく健康管理をしたい」と求めた。陸地で健康管理をするよう公文書を送った。ペ楔は右水営を離れて陸地に上がった/9月2日、ペ楔が逃げた。