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【コラム】法王を待ちながら=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.08.05 13:45
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朝鮮時代の天主教の迫害は残酷なものだった。数百人が斬首された後、約5000人の天主教徒は奥深い山奥にこもった。この頃、聖地と指定されていたその場所を人々は校友村と呼んだ。信徒の生活は窮乏した。校友村の信者は、西洋の神父たちが宝物を積んできて助けてくれることを祈った。1824年の冬至使(中国に遣わした使臣)一行に通訳官として参加したユ・ジンギルは、北京のクベア神父に朝鮮の迫害事実を知らせた。それから帰ってきてローマ法王庁に手紙を書いた。ファン・ソヨンの白書が発覚してから25年後のことだ。「まず神父たちを送って私たちの緊迫した状況を守っていただき私たちが船を迎えられるようにして下さい…。西洋の船が現れれば朝鮮は弾圧をやめるでしょう」と。いわゆる大舶の請願書であった。翌年この大船請願書は法王庁に届けられた。法王庁が受け取った朝鮮発の最初の手紙であった。

14日に訪韓するフランシスコ法王が、韓国に格別な愛情を寄せているのはこのような歴史的背景がある。キリスト教の弾圧が朝鮮に劣らず深刻だった日本で多くの信者が神道に背を向けた一方、西洋の神父12人が斬首されても信者数が増え続けた朝鮮を法王庁は聖霊の地として眺めた。迫害の地、しかし奇跡の地だった。そこを法王が訪れる。大砲や精兵ではなく主教90人を同行してだ。ユ・ジンギルの請願書に対する前向きな回答としてはこの上ない法王のお出ましが、韓半島(朝鮮半島)に伝えるメッセージは素朴なものだろう。貧しき者の友であり、他宗教とも疎通を図る法王の返信には生命尊厳と人間愛、この2つの言葉がある。

平凡なこの2つの言葉が、フランシスコ法王の霊性的な実践と接合して新しい意味を得る。チャ・ドンヨプ神父は自身の著書で法王の愛の革命を「観想的な愛」に概念化した。人間を、神様に接するようにすればその人の中に隠れた尊さと美しさを見るということだ。だから麻薬中毒者の足もとに口づけをし、行き倒れた者を懐に抱く。

東学の伝導師・崔時亨(チェ・シヒョン)がそうだった。師匠・崔済愚(チェ・ジェウ)が「人は神」という啓示をしていたとすれば、崔時亨はお天道様、すなわち天が万物に隠れているという汎天論に進んだ。「人間を含めたあらゆる事物も天だ」。人と事物に接する時「養天主」をしろとの生活哲学に切り替えた崔時亨が「子供もお天道様だ、殴ってはいけない」としたのはそうした理由だ。人が食べ物を食べることを以天食天(天が天を食べる)と説法したため東学と天主教の人間愛は相通じる。あたかも上帝と天主が朝鮮教理書に代わるがわる登場するようにだ。
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    14日、フランシスコ法王が訪韓する。
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