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北朝鮮、今度は黄海道から東海にスカッド2発

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.07.10 09:07
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北朝鮮が9日未明、スカッド-C弾道ミサイルを発射した。3月26日と先月29日に続き今年に入って3回目弾道ミサイル発射だ。発射見解は9日の午前4時と4時20分だ。黄海道新渓郡(ファンヘド・シンゲグン)のスカッドミサイル基地近隣の移動式発射台(TEL)から東海岸側の北東方向に射程距離500キロのミサイル2発を撃った。平壌(ピョンヤン)から90キロほど離れたところだ。その間北朝鮮は江原道元山(カンウォンド・ウォンサン)近郊の虎島(ホド)半島や旗対嶺(キッテリョン)などからミサイルを発射してきたが、6月以降は咸鏡南道興南(ハムギョンナムド・フンナム)や平安南道粛川(ピョンアンナムド・スクチョン)、黄海道新溪(ファンヘド・シンゲ)などに発射地域を広げている。政府当局者は「元山に滞在していた金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が金日成(キム・イルソン)主席20周忌行事のため平壌に移動してすぐに平壌近くのミサイル基地から発射したと見られる」と分析した。この当局者は「方向は東海岸に向けられたが、中国の山東半島に達するミサイルを撃った点を考慮すれば中国への不満を表した可能性がある」と付け加えた。北朝鮮・日本の関係が好転する時期に北朝鮮がミサイルを撃ったことで、日本政府は北京の北朝鮮大使館を通じて「きわめて問題のある行為」と抗議した。

一方、北朝鮮の核とミサイル開発を率いた全秉浩(チョン・ビョンホ)元軍需担当秘書(88)が7日、急性心筋梗塞で死去したと労働新聞が9日報道した。北朝鮮の軍需工場が密集した慈江道(チャガンド)出身の彼は、6・25韓国戦争(朝鮮戦争)の時に軍需品の生産実務者である工程員から始めて労働党軍需工場部長、軍需担当秘書などをつとめた。北朝鮮の軍需工場の大物と呼ばれていた。政府当局者は「彼は韓国戦争直後、モスクワ工科大学に留学した」として「金日成の時代から北朝鮮の核とミサイル開発の総責任者の役割を果たした」と話した。

 
全元秘書は1982年、韓国の防衛事業庁に該当する第2経済委員長になり、旧ソ連と中国からミサイルの実物と設計図を持ち込んでミサイルの自主生産を手がけたほか、金正日(キム・ジョンイル)時代には軍需担当秘書をつとめて核開発を主導した。

北朝鮮労働新聞は彼の訃告で「彼は我が国(北朝鮮)を人工地球衛星の製造・発射国、核保有国に転変させるのに多大なる貢献をした」と伝えた。彼は2010年に内閣政治局長へ席を移して金正恩の後継体制構築に関与した。金正日死去の翌年である2012年には武装装備展示館(武器博物館)館長の職責に退いた。金正恩ら88人で構成された彼の葬儀委員には失脚説が出回っていた金養建(キム・ヤンゴン)対南担当秘書が含まれ健在ぶりを誇示していたが、金正恩の叔母であり処刑された張成沢(チャン・ソンテク)の夫人・金敬姫(キム・ギョンヒ)党秘書は除外されて現職から退いたのではないかとの観測が出てきている。

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