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【コラム】兪炳彦、逃亡者の道を捨てて十字架を背負え=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.06.06 16:40
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イエスが歩んでいった愛と犠牲の道とは正反対だ。清海鎮(チョンヘジン)海運の兪炳彦(ユ・ビョンオン)会長が今歩んでいる“逃亡者”の道のことだ。73歳の兪会長は、老いて益々盛んな姿を誇示している。テコンドー5段保持者であっても、数十年間隠とん生活をしていた錦繍院(クムスウォン)を離れて20日以上も逃走していること自体が苦難だろう。特に錦繍院からの脱出、秘密別荘への潜伏、変装、車両逃走、かく乱、潜伏、懸賞金、密航、亡命の試みへと続く状態は常軌を逸していると思われる。

あるキリスト教分派の指導者が自ら選んだ道と見るにはみすぼらしい。よっぽどでなければ、彼を追う検察が「捜査に積極的に協力するという兪会長が、宗教指導者とグループ会長という身分と廉恥を使い古した履物のように脱ぎ捨てたまま根っこのない凶悪犯のように逃亡中」とまで叱責するだろうか。彼が潜伏していた順天(スンチョン)の別荘「森の中の思い出」に押しかけた検察捜査官が、現場でミネラルウォーターのボトルと共にぽつんと残っていた“聖書”を発見したという便りは私たちを悲しくさせる。救援派は聖書の一節を引用して布教をして、信徒の中には知識人も少なくないというのに、あまりに急いでいて布教の根幹である聖書まで置いて行ったようだからだ。兪会長は“能力者”だ。1987年の五大洋集団自殺事件の後、直撃を受けたセモグループは不渡りを出した。だが法廷管理の弱点を利用して多くの系列会社を再び取り戻したのはもちろん、それ以前よりも規模を広げた。奇抜なアイデアと事業感覚、全国に散在するという10万人の信徒たちの献身のおかげだった。信徒の献金をベースに有機農商品の生産-流通のための営農法人を設立し運営した。漢江(ハンガン)遊覧船を運営していたセモ時代の経験から沿岸旅客船事業にもひそかに進出して大船主となった。だが彼が生きてきた道は“正常”とは、ほど遠かった。錦繍院に隠とんして金を稼ぐと同時に「AHAE」という匿名で海外では超豪華な写真展示会を開いた。セウォル号沈没事故後、一度も姿を表わさないのも正常ではない。

 
検察召還に応じずに逃げたのは、非正常のフィナーレだ。検察は子供たちから調査してカードを確保した後、兪会長を最後に呼んで圧迫する戦略を立てた。だが兪会長は常識を破壊した。長男テギュン氏、次男ヒョクギ氏、長女ソムナ氏ら召還通知を受けた3人の子供が全員逃亡すると兪会長も身を隠した。今は人のカーテンに隠れて公権力の宗教弾圧だと言いながら抵抗している。逃走が長くなれば、追う者と追われる者の境遇が逆転する。追われる兪会長よりも、追う検察に焦燥感が表れることになった。徹底的に備えが出来なかった検察の責任も大きい。だが罪がなければ検察に出頭して堂々と立場を明らかにすれば良いことだ。自ら懸賞金ハンターの餌食に転落しようというのか。兪会長は今からでも逃亡者の道を捨てて十字架を背負わなければならない。それでこそ非正常の正常化がなされる。最後の晩餐でペテロがイエスに向かって尋ねた。「Quo Vadis Domine(主よ、どこへ行かれるのですか)」。この意味を兪会長は分からないはずがないだろう。

チョ・ガンス社会部門次長

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