“2年連続プリツカー賞”日本の秘密…「建築の文化的価値を知っていた」(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.04.03 09:32
◆近代化と建築文化=専門家たちは、日本が近代化に先んじ、建築に対する認識自体が違っていたという点を最も大きな理由に挙げている。代表的な例として、日本人建築家を育む場として挙げられる東京大学建築科(当時の名前は造家学科)ができたのは1873年だった。それだけスタートが早かった。西欧文化の吸収にも積極的だった。1910年代初期に米国建築家フランク・ロイド・ライトによる帝国ホテル新館(1922年竣工)が設計され、ル・コルビュビエは1959年に東京国立西洋美術館を手掛けた。京畿(キョンギ)大学建築大学院のイ・ジョンゴン教授は「日本の建築家は、1950年代にはすでに世界の現代建築の主流の中におり国際的な交流に積極的だった。建築の文化的価値を知っていた」と話した。
◆職人精神を重視=延世(ヨンセ)大学建築科のチェ・ムンギュ教授は「建築は協業だ。設計図は重要だが社会全体が良い建物を作るという意志を共有してこそ良い建築が可能になる」と話した。デザインはもちろん、ディテールなど完成度を重視した施工者マインドの背景には、職人を尊重した文化があったという説明だ。日本人建築家・隈研吾氏は2011年、中央日報とのインタビューで「(日本では)建築家と職人がバランスをもって共存してきた。両者は尊敬と協力の関係」と話したことがある。ソウル大学建築科のチョン・ポンヒ教授は「世界的建築家はたいてい若い時期に小さな規模の住宅設計をしながら成長してきた」として「アパート文化が主流の韓国と違い、住居類型の60%が戸建住宅である日本は、若い建築家が活発に実験する機会が多かった」と話した。