주요 기사 바로가기

【コラム】朴大統領の「統一大チャンス」に込められた意味(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.03.11 17:22
0
大きい船が朝鮮に来るだろう(大舶来鮮)。1780年代、朝鮮人の間にはこのようなうわさが広がった。病気と飢謹に苦しめられた平民にとって、天主教が理想郷の夢を植えつけた時であった。韓国で最初の天主教道人イ・ビョクが「天主恭敬歌」を作って歌い、朝鮮最高の学者チョン・ヤゴンが天真庵(チョンジアム)走魚寺(ジュオサ)で西教の講学会を開催した。巷間にはこのようなうわさが飛び交った。「仁川(インチョン)と富平(プピョン)の間に千隻の船が停泊するだろう」。ローマ法王庁から派遣された神父が金銀財宝や大砲を載せて朝鮮に来て、迫害を終わらせるという教会信者の切ない希望だった。

迫害は終わらなかった。辛亥(シンヘ)迫害(1791年)から丙寅(ピョンイン)迫害(1866年)まで約1万5000人の信徒が斬首された。教会史学者ロビンソンの指摘のように、朝鮮の天主信徒たちが体験したものはローマ帝国でキリスト人たちが被った苦難よりもさらに深刻だった。刑場で刃物を受けた信徒たちは、一様に恩寵に光る喜びの表情で死んでいった。「王と両親を否定するのか?」という首領の尋問に信徒たちは「違います」と答えた。それから「天主を否定せよ」という最後通告に「それはできない」という対峙線の崖で尹至忠(ユン・ジチョン)とクォン・サンヨンは殉教を選んだ。永生の扉に喜んで歩いて入っていく数千人の教会信者を朝鮮社会は恐ろしく驚異的な目で眺めた。

 
「大舶請願」、それが唯一の出口であった。教会信者は北京主教に3回密書を送った。神父と大きな船を送ってほしい。王だった正祖(チョンジョ)の寵愛を受けた神童ファン・サヨンはA4用紙3枚分ほどの大きさの絹に1万3000字を書いた。「船を数千隻と5、6000の兵を送ってこの地の聖霊を救ってください」と。脅迫で十分だという意だった。ファン・サヨンの書は北京に伝わらず、彼の命を奪い取った。20年後、教会信者ユ・ジンギルは法王庁に大船の請願密書を送った。しかしそれほどに待ちこがれた大船が来ない代わりに神父がきた。ローマ法王庁が朝鮮大教区の設置を承認した1836年のことだった。

鴨緑江(アムノッカン)辺門から密入国したエンベル主教、モバング、シャスタン神父を含め全12人のフランス人神父が殉教した。天主教は血であふれた迫害の地で絶えず芽生える新芽であったし、弾圧が苛酷なほど遠く広がる草の種のようだった。1896年、血に染まった沙南基(セナムト)の土で建築された明洞聖堂が殉教者の霊魂をなだめる天主のメッセージを打鐘しながら迫害は終わった。上帝と天主の共存時代が開かれた。だから庶民の友であるフランシスコ法王がヨム・スジョン枢機卿にこのようにささやいたのではなかったか。「韓国を本当に愛しています」と。


【コラム】朴大統領の「統一大チャンス」즂込められた意味(2)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP