주요 기사 바로가기

中国主席に会った張成沢、北核への理解でなく派閥の後援を要請…金正恩が激怒

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.02.11 10:05
0
北朝鮮の張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長が甥の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記に処刑されてから12日で2カ月となる。張成沢粛清の理由は国家安全保衛部特別軍事裁判の判決文に詳しく出ている。政変陰謀、石炭など地下資源を売った売国行為、公金流用、女性関係、賭博…。

これと関連し、対北朝鮮情報ラインのある核心当局者は10日、「金正恩が極端な決定をしたのは感情的な背景があるため」とし「張成沢が没落の道に入る序曲は2012年8月の中国訪問当時から始まった」と伝えた。

 
当時、張成沢は金正恩の特使として北京を訪れた。北朝鮮の核開発に対する中国指導部の理解を求めるのが主な任務だった。労働党と内閣の幹部を随行員として同行させた張成沢は中国共産党と政府の歓待を受けた。

しかし情報関係者は「張成沢は胡錦濤国家主席らとの会談で、北朝鮮の特区に対する中国の開発・投資と北朝鮮鉱物の対中輸出問題を集中的に議論した」とし「親中性向に分類される張成沢派閥に対する後援も密かに要請したと把握している」と述べた。核問題については一言も話さなかったということだ。

後にこれを知った金正恩は怒りを表したという。金正恩は翌年5月、別の側近の崔竜海(チェ・ヨンヘ)軍総政治局長を特使として派遣した。崔竜海は数日間待ってから習近平国家主席に会うなど冷遇を受けた。崔竜海は中国側の関係者に自分が金正恩指導者に直接報告する人だと伝え、雰囲気を変えようとした。しかし中国側から「張成沢の言葉に一理あるので、よく聞くべきだ」という言葉を聞いた。

鄭永泰(チョン・ヨンテ)統一研究院研究委員は「崔竜海は張成沢が受けた歓待とは違う温度差を経験したはずで、これをそのまま金正恩に報告した」と述べた。張成沢の派閥が鉱物の輸出などで稼いだ外貨を独占すると、労働党や軍部に背を向ける派閥も増えた。

対北朝鮮消息筋は「張成沢は『政治は知らないが、経済の問題は私の話を聞くべき』として振る舞う状況もあったと、平壌(ピョンヤン)訪問時に聞いた」とし「金正恩は張成沢から被害を受けた勢力を糾合し、除去に動いた」と伝えた。

張成沢の女性関係も処刑の決定的な背景になったという。張成沢は平壌の高級飲食店や特閣(別荘)で銀河水楽団などの女性団員を「喜び組」としてパーティーを楽しんだが、その内容が保衛部監視網を通じて金正恩に報告されたということだ。張成沢が金正恩を「まだ子ども」と表現したこともあったというのが消息筋の話だ。

政府当局者は「金正日総書記の死去(2011年12月)直後から張成沢とその部下の猟色行為が増えたという点に、金正恩が激怒したという情報がある」と話した。金敬姫(キム・ギョンヒ)が夫・張成沢の死刑に最後まで反対しなかった理由でもある。安燦一(アン・チャンイル)世界北朝鮮研究センター所長は「金正恩は自分と叔母の金敬姫を無視したという反感のため、即興的で感情的な処刑をした」と分析した。

◆中国、習近平ー金永南の会談を報道せず

中国官営メディアはソチ冬季オリンピック(五輪)開幕式に出席した習近平国家主席が7日、北朝鮮の金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長に会ったことを報道しなかった。北朝鮮の労働新聞が大きく扱ったのとは対照的な雰囲気だ。中国は平壌駐在中国大使館のホームページに、張成沢関連の写真をそのまま掲載している。政府当局者は「張成沢処刑後、中国指導部の不満を反映したものかもしれない」と分析した。

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0

    포토뷰어

    中国主席に会った張成沢、北核への理解でなく派閥の後援を要請…金正恩が激怒

    2014.02.11 10:05
    뉴스 메뉴 보기
    金正恩の特使として2012年8月に中国を訪問した張成沢(チャン・ソンテク)国防副委員長(左)が、胡錦濤国家主席に会った。下は昨年12月に特別軍事裁判を受ける張成沢。(写真=中央フォト)
    TOP