【コラム】法で「孝」を強制することはできない=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.01.27 17:12
米国の有力日刊紙ワシントンポスト(WP)は最近、韓国の高齢者の貧困についての「挑発的な」記事を載せた。韓国人の孝心が弱まって、社会保障システムがともなわない中で高齢者たちが飢えていた時期に戻っているというのが要旨だ。記事の最後のイ氏(82)の言葉に胸が痛む。「朝鮮戦争の直後は『ご飯食べたか』が決まりの挨拶だったが、今、私の体重が落ちるのを再び心配している」。
政府が怒り出して「基礎年金など福祉政策を強化している」と釈明資料を出したが、その声もむなしく聞こえる。記事は多少刺激的ではあるが、韓国社会の流れを正確についていた。「両親は両親、子供は子供」という西洋人の目には、韓国の孝の思想は非常に独特に映るだろう。英国の歴史学者アーノルド・トインビー(1889~1975)が1973年「韓国文化で今後、人類に最も大きく貢献することがあるならば、それはまさに孝だろう」と評価したほどだ。当時でさえも健康保険のような初歩的な福祉さえなかったので「親孝行=福祉」といっても過言ではなかった。
その後、産業化・都市化が進みながら孝の考え方が非常に薄まった。「家族が両親を扶養しなければならない」と考える人が98年には10人中9人だったのが、2012年には3人程度で減った。代わりに家族・政府・社会が扶養すべきだという人が2002年の2人程度から5人に増加した(統計庁社会調査)。「私的孝心」が「公的孝心」に変わっている。最近、法務部が相続財産の半分を配偶者に先に与える側に法を改正するが、その理由の中の1つが孝心の弱体化だ。子供にたくさん相続しても1人残った父や母を扶養しないということだ。