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<天主教神父の北砲撃発言>文奎鉉訪朝後に司祭団の理念色濃厚に=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.11.25 10:23
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国家保安法完全廃止、韓米自由貿易協定(FTA)中断、韓米軍事同盟解体、平沢(ピョンテク)米軍基地拡張反対、次期戦闘機(FX)事業反対、原子力発電所反対…。

この10年余りにわたり天主教正義具現司祭団が「時局ミサ」や「祈祷会」などの名称で各種懸案に介入し展開してきた主張だ。

 
1974年に維新政権に抵抗する時局宣言を発表し設立された正義具現司祭団は、80年代半ばまで人権と民主化に少なくない寄与をしたのは事実だ。だが、民主化がなされた87年以降に司祭団は理念色の濃厚な事実上の政治活動をしてきた。この過程で反米指向を明確に示しただけでなく、一部関係者は親北に近いという評価を受けたりもした。89年に文奎鉉(ムン・ギュヒョン)神父が当時韓国外国語大学の学生だった林秀卿(イム・スギョン)民主党議員と北朝鮮を訪問し、金日成(キム・イルソン)の遺体を参拝した後、芳名録に「金主席の永生を願う」と書き議論になったのが代表的だ。この団体で活発に活動してきた文正鉉(ムン・ジョンヒョン)神父は2002年5月に講演で、「私もやはり北朝鮮を訪問した際に万景台(マンギョンデ)に行き、『金日成将軍がもう少し長生きされれば。残念です』と書いた」と明らかにしたことがある。

事実70~80年代だけでも現在とは様子が違った。当時池学順(チ・ハクスン)主教が「維新憲法は無効」という良心宣言を発表した後、懲役15年の刑を受けると、金勝勲(キム・スンフン)神父、咸世雄(ハム・セウン)神父らが結成した司祭団は民青学連良心犯釈放運動、維新憲法反対運動などを展開した。80年代初期には光州(クァンジュ)民主化運動の真相を知らせるのに先頭に立ち、87年5月18日には朴鍾哲(パク・ジョンチョル)拷問致死事件を暴露し6月民主化抗争の起爆剤の役割をした。

こうした司祭団の活動が理念側に傾き始めたのは盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権発足前後という評価が多い。

司祭団は2002年の大統領選挙を控え、「韓半島平和実現、不公平なSOFA改正、米軍装甲車犠牲女子中学生事件時局祈祷会」を開き、米軍の装甲車による女子中学生死亡事故問題が大統領選挙の争点として浮上するのを主導したのに続き、盧武鉉政権発足後には「過去史整理」政局で発言力を拡大した。2003年11月に司祭団は「金賢姫(キム・ヒョンヒ)KAL858便爆破事件真相究明」を宣言することもした。

2004年の通常国会では当時与党だったウリ党が国家保安法廃止問題を最優先で立法化に乗り出すと、「国家保安法完全廃止のための時局ミサ」を開いて加勢した。国家保安法に対する司祭団のアプローチは文正鉉神父が2001年11月に全州(チョンジュ)地裁群山(クンサン)支院で開かれた国家保安法違反宣告公判の時に行った最後陳述によく現れている。当時彼は「私は国家保安法を必ず撤廃させるだろう。在韓米軍も必ず撤収させるだろう」と述べた。

李明博政権に政権交代すると反政府活動を強化し反米路線をより明確にした。

2008年に米国産牛肉をめぐるろうそくデモが行われた時は「狂牛病国民対策会議」に参加し、「牛肉輸入は米国に忠誠しようという盲目的事大主義」と主張した。


<天主教神父の北砲撃発言>文奎鉉訪朝後に司祭団の理念色濃厚に=韓国(2)

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